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而吃益生菌的開頭原因?是因為睿睿在2個月時就會一直溢奶
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タイトル:【RVF400R NC35 しくじりバイクワークスレプリカ】RVFというワークスの冠をつけられて最後のミドルV4レーサー
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ホンダ RVF400の紹介:スポーツバイクならNEXT DESIGN
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●本田技研工業株式会社 (Honda)
Honda Collection Hall 収蔵車両走行ビデオ HONDA RVF(1994年)
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●First Gear
RVF400 NC35 H10年式 エンジン始動 ボディ状態動画
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●ROAD TO RUIN
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●Bridge Motorcycles Ltd
Honda RVF400 NC35
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●mfb videos
HONDA RVF 400 (PURE SOUND)
https://www.youtube.com/watch?v=bLVTh2JUQQc
●べんがるRVF
08 Honda RVF400 NC35 パワー&空燃比チェック
象さんのフィルタスポンジ装着で空燃比はどのくらい変わるのか!?
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ホンダ RVF400/NC35
「美しいフォース。」
ミドルV4の最後を飾るRVF/NC35型。
エンジンこそ先代VFR400R(NC30)をベースにしているものの、ファクトリーレーサーであるRVFの名を冠するだけあり倒立フォークやそれに合わせた新設計フレーム、そして前後17インチ化によるハンドリングの向上など余念のない改良が施されています。
ヘッドライトもそれまでの丸目からツインフォーカスヘッドライトに変更してあります。
先代NC30が兄貴分のRC30のレプリカだったのに対し、NC35とRC45は共同開発だったから、そこまで似せなくてもいいという判断だったんでしょうか。あっちは、RC30をそのまま大きくしたようなデュアルヘッドライトです。
他にもブレーキやら何やら書ききれないほどの変更が入っていますが、それよりも書くべきことがあります。
このRVF/NC35はワークス直系でヘッドライトが暗いことを除けば文句なしのV4レーサーレプリカで当時78万円でした。これは決して高すぎる値段とは言えないどころか兄貴分のRVF750/RC45が200万円という事を考えれば破格の値段・・・でも売れなかった。
これが出た1994年にはレーサーレプリカブームがとっくに去っていたから。53馬力という自主規制もそれに拍車をかけたのもあると思います。
そしてTT-Fスリーという400レプリカ競争を加熱させた400レースも人気低迷から91年に廃止。つまり世界選手権を睨んで作られたRVF750/RC45と違ってこのNC35は出れるレースが既に無かった状況だったんです。
レースでも市場でも需要のないバイクを一体どういう意図でホンダが出したのか正確な回答はありませんが、恐らくTT-Fスリーで培ったレース技術の市販車へのフィードバックというNR750から続くV4のコンセプトを忠実に遂行したんだと思われます。
そしてこれが、最後のミドルV4レーサーになることも分かっていたから"RVF"というワークスの冠も付けたんじゃないかと。
「RVF、この名がすべてだ。」
もう誰も見ていなかったフォースト400ccレーサーレプリカという舞台において、最後のウイニングランを飾ったのは間違いなくこのRVF/NC35
高い運動性能を発揮するV型4気筒エンジン搭載の、スーパースポーツバイクとして好評を得ている、ホンダ VFR400Rのエンジン出力特性や、車体・足廻りを一新するなど、総合性能を一段と向上させた、ホンダRVF400R
販売計画台数(国内・年間)5,000台
このRVFは、第30回東京モーターショーに参考出品し若年層を中心に人気を博したモデルで、ワークスレーサー RVF750で磨いてきた高度な技術をもとに、優れたスポーツ性能を 一層向上させるとともに、
斬新なデザインをも両立させたスーパースポーツバイクである。
エンジンは、ホンダ独自のカムギアトレーン機構を採用したコンパクトな水冷・フォーサイクル・DOHC・90度V型4気筒・399cc搭載。
キャブレターに、レスポンス性に優れ吸気系のストレート化にも貢献するバキュームピストン型を採用するとともに、エアファンネルを前後不等長タイプとし、前後バンクの吸気管長を変更することによって、
微妙なアクセル操作にも俊敏に応答するレスポンス性を実現している。
吸気ポートの内径と形状を見直すとともに、バルブ開閉時期の変更や、外気をエアクリーナーに直接導入するダイレクトエアインテークシステムの採用などによって吸排気効率を一段と向上させている。
さらに、いっそく~さんそくのギア比をローレシオ化することによって、 きびきびとした走り味とするとともに、クラッチ枚数を変更し、クラッチの操作荷重を低減させ、切れ感を向上させるなど使い勝手も向上させている。
フレームは、高剛性と適度なしなり感を両立させた新設計のアルミツインチューブのダイヤモンド式を採用。だいけいのステムパイプによるフロント廻りの高剛性化や、フロント側エンジンヘッド とロアケースの2点支持方式としたエンジン懸架、
さらにスイングアームピボット部の結合剛性 の最適化を図るなど、全体の剛性バランスの見直しとマスの集中化によって一段と優れた操縦性と、施回性を実現させている。
足廻りは、フロントに直径41mmのインナーチューブをもつ高剛性の倒立型フォークを採用している。高応力線材のスプリング、インナーパイプのうすにくかにくわえアルミ材を細部に採用すること などによって、剛性を確保しながら軽量化を実現している。
さらに、ニューカートリッジ・サスペンションの採用により、長時間のライディングでも優れた減衰力特性を発揮させている。
また、リアに高剛性でメンテナンス性にも優れる片持ち式スイングアーム(プロアーム)を熟成して採用。前後ともに軽量化を図った17インチ・ホイールに、優れたグリップ性能のラジアルタイヤを組み合わせて装備し、優れた路面追従性を実現している。
フロントブレーキは、RVF/RC45などに採用している新型いけいフォーポット対向ピストンキャリパーと、だいけい296mmのフローティング・ディスクをダブルで、リアには、ツーポット・ピンスライドタイプのキャリパーにしょうけつパッドを組み合わせて採用するなど、
高い制動効力を発揮させている。
外観は、空力特性を一層向上させ前面投影面積も減少させるよう、よりスラント化、スリム化させたフロントカウルと後方へ絞り込んだシートカウル形状とするなど、ワークスマシン「RVF 750」をイメージさせるスポーティなフォルムとし、
また、空力特性を十分に考慮したダイレクトエアインテーク・システムのダクトや、二輪車国内初の、はいこう性、めいちょう性に優れたマルチリフレクター式ツインフォーカス・ヘッドライトをフロントカウルに配し、スポーティな印象を更に際だたせている。
また、ライディングポジションは、ハンドルグリップ位置を10mmじょうほうへ、ライダー側へ 24mm引き寄せるなど市街地からワインディング走行まで幅広い走行状況の中で操縦する楽しみが得られるものとしている。
さらに、タンク後方とシート前方の幅を広げるとともに、燃料タンク形状を一新するなどライダーの体重移動や挙動に対しても操縦しやすいものとしている。
主要諸元
エンジン 水冷フォーサイクルDOHC4気筒
総排気量 399cc
最高出力 53馬力/12500rpm
最高トルク 3.7キログラム/10000rpm
タイヤサイズ
フロント:120/60-17
リヤ:150/60-17
オイル容量 全容量3.0L
交換時2.4L
フィルター交換時2.5L
車体価格 780,000円(税別)
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★モータースポーツ関連の動画等をメインにして作成をしています。稀に違った内容の動画も作成しますが殆どが車、バイクに関連する動画になっております。WGP,MotoGP, FORMULA1のレース観戦が趣味となっています。
Marc Márquez,Valentino Rossi,Jorge Lorenzo
HRC HONDA, YAMAHA の熱烈ファンです。
★驚異の空力エンジニア エイドリアンニューウェイがデザインしたF1マシン
★エイドリアン・ニューウェイ(Adrian Newey, OBE 1958年12月26日 - )は、イングランド出身の自動車技術者。
F1やCARTにおいてカーデザイナー、エアロダイナミシスト(空気力学の専門家)、レースエンジニアおよびテクニカルディレクターとして活躍。
F1チームの役職を歴任し、数多くのタイトル獲得に貢献した(※2018年時点。コンストラクターズタイトル7回と各ドライバーズタイトルなど)。
美しいデザインと高い空力性能を兼ね備えたシャシーを開発し、「空力の鬼才」の異名を持つ。
レイトンハウス、ウイリアムズ、マクラーレン、レッドブル……天才デザイナー、
エイドリアン・ニューウェイが世に送り出したF1マシンのうち、トップ10をピックアップ。
エイドリアン・ニューウェイ。レーシングカー・デザイナーである。
彼はF1史上最高のデザイナーのひとり。彼の生み出したマシンはこれまでに150勝以上を挙げ、
10回のコンストラクターズタイトルを獲得。
しかも3チームにタイトルを獲らせています。
彼がデザインした幾多のマシンのうち、トップ10をピックアップ!
「空力の鬼才」と何故呼ばれているのか
ドライバーにライバルと言わしめたデザイナー
彼の設計の凄さは数字が物語っています。1988年〜2013年までの過去に彼が生み出したF1マシンの26台中11台がチャンピオンカーになっているという事実です。それ以外でチャンピオンを取ったのはプロスト1回、セナ3回、アロンソ2回、シューマッハー7回、ハッキネン1回、バトン1回、その顔ぶれを見るとわかる様にニューウェイが現役だった26年間は天才ドライバーVS天才デザイナーの戦いだったことが良くわかります。アイルトン・セナを魅了し、シューマッハーやアロンソからは「ニューウェイとの戦いだ」と言わしめたほどにエイドリアン・ニューウェイの生み出したマシンは傑出していました。
エイドリアンニューウェイが携わったレーシングチーム&マシン概要。
ウィリアムズF1
ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング(Williams Grand Prix Engineering)は、イギリスに本拠地を置くF1のレーシング・チームで、1977年にフランク・ウィリアムズとパトリック・ヘッドにより設立された。
前身は1966年に設立されたフランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ(Frank Williams Racing Cars)である。
ウィリアムズ・FW14
レイトンハウスから移籍してきたニューウェイとヘッドの共同体制から生まれた第1作目。FW13Bをベースに、ニューウェイの空力デザインを融合させた。
ノーズの先端を若干持ち上げ、コクピット開口部はドライバーの肩が露出するニューウェイ独特の5角形デザインとなった。
駆動系にはフェラーリに続いてF1では2チーム目となるセミオートマチックトランスミッションを採用した(フェラーリは縦置き7速、ウィリアムズは横置き6速仕様)。
フェラーリと同様に、ステアリング裏のパドルで変速操作を行う。
エンジンはジョイント3年目となるルノー製V型10気筒エンジン。シーズン中、RS3からRS3Bに換装された。
圧搾空気でバルブ開閉を制御するニューマチックバルブシステムを搭載し、14,200回転で770馬力を発生。また、エルフ製の特殊燃料も使用し、ホンダやフェラーリのV12エンジンに対抗した。
スポンサーにキャメルが加わった。
序盤2戦はコクピット前部のみキャメル・イエローにペイントされ、エンジンカバー部は白い空きスペースだったが、第3戦以降はエンジンカバーもキャメル・イエローにペイントされた。
第7戦フランスGPよりロングノーズと改良型のフロントウィングが導入された。
最終戦オーストラリアGPでは翌年へ向けての先行開発として、スペアカーにアクティブサスペンションが搭載された。
1991年
序盤戦は導入したばかりのセミオートマチックトランスミッションにトラブルが多発した。
序盤4戦両ドライバー合わせてリタイヤ6回を喫し、同じく優勝4回と2位と3位が1回ずつのマクラーレン勢に大きく引き離されていた。
第5戦カナダGPでは、ナイジェル・マンセルが首位を独走するも、ファイナルラップにストップして勝利を逃した。
しかし第6戦メキシコGPでリカルド・パトレーゼがシーズン初勝利かつウィリアムズの1-2フィニッシュで飾った。ここからポテンシャルを発揮し、第7戦フランスGPから第9戦ドイツGPまでマンセルが3連勝を達成。
マクラーレンとのポイント差を一気に詰め、終盤戦までタイトル争いを繰り広げた。
シーズン全16戦中、マクラーレンの8勝に対し、ウィリアムズは7勝(マンセル5勝、パトレーゼ2勝)を獲得。
ホンダエンジンのパワーに依存するマクラーレンに対してトータルパッケージの優秀さを示したものの、序盤戦の不振やハンガリーGPとベルギーGPのマシントラブルで逃したポイント、
特にポルトガルGPのピット作業での失策でマンセルが黒旗失格となったことが致命的となってしまい、最終的にはマクラーレンの逃げ切りを許してしまった。
FW14B
アクティブサスペンション
FW14をベースにアクティブサスペンション[7]を搭載し、1992年に向けた改修を加えたマシン。
当初は暫定改造車として序盤戦のみ使用し、第4戦スペインGPからフルモデルチェンジしたFW15を投入する予定だったが、他チームのマシンを引き離す圧倒的なポテンシャルを持つことが判明したため、
計画を変更して1992年シーズン一杯使用することになった。
アクティブサスペンションの搭載は1988年のFW12以来となる。当時はシステムを確立できずシーズン途中に放棄してしまったが、その後もパディ・ロウを中心として地道に開発を続けていた。
テストドライバーのマーク・ブランデルやデイモン・ヒルによってテスト走行を重ね、信頼性を高めた上で実戦投入に踏み切ることになった。パトリック・ヘッドはこれらのデバイスの投入を当初から1992年からと決めていた。
これは仮に前倒しに投入した場合、信頼性に難が見られた時の対策にチームのリソースを食う事になり、開発計画に狂いが生じるのを懸念した為である、
FW14Bのシステムはロータス・99Tのような完全油圧制御(フルアクティブ)ではなく、ガスシリンダー(パッシブ)と油圧式アクチュエータ(アクティブ)を組み合わせたセミアクティブ方式であった。
路面のバンプを通過する際、高い波長(大きな揺れ)にはパッシブサスが対応し、低い波長(小さな揺れ)をアクティブサスで制御した[9]。ソフトなサスペンション特性を持ちながらも、車体姿勢や車高を最適に維持する、
という相反する要素を兼ね備えることで、FW14が元来持つ優れた空力性能をいかなる状況でも発揮できるようになり、異次元のコーナリング性能が実現した。また、直線走行時にはフロントの車高を上げ、
ウィングの迎角を抑えることでドラッグを減らし、トップスピードを高めることもできた。
レースでの走行にあたっては、GPSが存在しなかった当時、各サーキットでの走行ライン上の路面状態や縁石を全て事前に調査したうえでサスペンションの動作プログラムを作成する手法が採られていた。
チームは機密保持に神経を遣っており、ピットでの整備時にはガードマンを配置したり、アクティブ装置の上にカバーを被せるなどして、写真撮影されることを避けていた。
FW14製作時にはアクティブサスペンションの搭載が考慮されていなかったため、フロントサスペンションのプッシュロッドを接続するモノコック上部にアクチュエータを収めるバルジが追加された。
また、システムの搭載に伴い、マシン重量も増加している。シャシーはホイールベースが100mm以上延長され、前後トレッドも拡大された。
エンジンはルノー・RS3Cを搭載しつつ、第5戦サンマリノGPから予選用にRS4を投入し、第11戦ハンガリーGP以降は決勝レースでもRS4を使用した。
電子制御で点火タイミングを調節し、駆動力を最適化するトラクションコントロールシステムの採用も話題となった。
「最強マシン」の実態
FW14とFW14Bでは、マンセルとパトレーゼの個人記録の違いが目立つ。
1991年はマンセル5勝2PP、パトレーゼ2勝4PPという成績だが、パトレーゼの方が先に優勝し、3連続ポールポジションを含めて16戦中9戦でパトレーゼがマンセルを上回った。
ところが、1992年はマンセルが9勝14PP、パトレーゼは1勝1PPと圧倒的な差がついた。予選では1〜2秒差という、同じマシンとは思えないギャップが開いたケースもあった。
エイドリアン・ニューウェイは「アクティブカーはナイジェルのような、クルマを信頼して振り回すアグレッシブな乗り方に合っていた」と語っている。
アクティブカーは従来のパッシブサスカーの限界よりも攻め込むことができるが、その感覚の違いをドライバーが克服しなければ、その性能を完全に活かすことはできなかった。
マンセルは「こんなに速いとバリアにぶつかってしまうぞ、という頭の中の"アラーム"を乗り越えることが大変だった」と語っている。
一方でパトレーゼはマシンの反応を感じながらスムースに操るタイプのドライバーだったため、アクティブカーへの順応が思うようにできず、
「ナイジェルのほうが僕よりも慣れるのが早かったから、とにかく自分の考えを変えなくてはいけないと思った」「ドライビングが難しいというのではなく、すべてにおいて別物だった」と語っている。
記事引用:Wikipedia ウィリアムズF1、FW14、FW14B
【F1 空力 神業】驚異の空力エンジニア ,エイドリアンニューウェイがデザインしたF1マシン
https://www.youtube.com/watch?v=NSRkliFBZTA
【関連動画】
➀【F1】遂にハース決断!?グロ―ジャン放出でニコとマグの相性は?
https://www.youtube.com/watch?v=7XUWZLrMRUY
➁【衝撃】歴代F1マシンで見た目が醜すぎるのは…!
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➂【初LIVE】フォーミュラEに参戦する元F1ドライバーたち!
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➃動画タイトル:幻のホンダの技術でF1を制したメルセデスの前身ブラウンGPの手腕…
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【MotoGP 】フレディースペンサー NSR500
MOTOGPを語る上でフレディ・スペンサーはなくてはならない存在であり、フレディ・スペンサーを語るにはNSR500を避けることはできない。
それほどフレディ・スペンサーはMOTOGP界の伝説とも言うべきライダーであり、数々の栄光を手にした実力とその美しいフォームにしびれるファンも多く、1988年に鈴鹿サーキットでNSR500による引退記念走行を行うまで多くの人を魅了し続けた。
ただし、伝説の中には栄光とは対照的に挫折を余儀なくされる逸話も残っている。
また、NSR500はフレディー・スペシャルとも呼ばれ、今でもMOTOGP500ccクラスを代表する常勝マシンとして多くのファンの記憶に残っているだろう。
フレディースペンサーの説明文はWikipediaを引用しております。
クリエイターコモンズ(再利用)にて許可がされておりますのでご承知おき下さい。
★フレデリック・"フレディ"・バーデッド・スペンサー(Frederick "Freddie" Burdette Spencer, 1961年12月20日 - )は、アメリカ合衆国ルイジアナ州出身の元モーターサイクル・レーシングライダー。1983年にはロードレース世界選手権(WGP)500ccクラスで、史上最年少チャンピオン、1985年には同じくWGPの500cc、250cc両クラスでシリーズチャンピオンを獲得した。
世界グランプリ・フル参戦
1982年、ホンダ・ワークスから世界GPへのフル参戦を開始。同年からホンダはNR500(4ストロークエンジン)に代え、2ストローク3気筒エンジン搭載の新型マシンNS500を実戦投入しており、スペンサーはこの車両を駆って同年のスペインGPで初のPPを獲得[1]し、ベルギーGPで世界グランプリ初勝利を遂げる[1]。その後も1勝を挙げ、ランキング3位を獲得する。
1983年にはヤマハのケニー・ロバーツと、年間12戦のうち6勝ずつ分け合う激しい戦いを展開。最終第12戦サンマリノGPではケニーが優勝して対戦成績を五分に戻したが、獲得ポイントはスペンサーが2ポイント上回っており、500ccクラスのチャンピオンを獲得することになった。この時点でスペンサーは21歳8ヶ月であり、2013年にマルク・マルケスに破られるまでロードレース世界選手権の最高峰クラスにおけるシーズン制覇の最年少記録であった[2]。
1984年からホンダはV型4気筒エンジン搭載のNSR500を投入したが、車両の独創的レイアウトの影響によるトラブルが多く、スペンサーはシーズン5勝をあげるもランキングは4位にとどまり、エディ・ローソン(ヤマハ)にシーズンタイトルを奪われた。ちなみにスペンサーはこの年、NSR500とNS500をコースによって使い分けていた。
1985年シーズンは前年の成績を挽回すべく、WGP500cc、250ccの両クラスにダブルエントリー。500ccクラスでは全12戦中11戦に出走し7勝をマーク。250ccクラスでは全12戦中10戦に出走しやはり7勝を収め、両クラスとも最終戦を待たずして年間チャンピオンを確定。'70年代以前には同一年に複数のタイトルを獲得する例も多く見られたが、世界GPにおける「Wタイトル」はこの年のスペンサーが現在までのところ最後の記録である。また、500ccと250ccのWタイトルは世界GP史上スペンサーのみである。なお90年代後半にダブルエントリーが認められなくなったため、この記録を破ることは現在不可能。
右手首故障
シーズンオフには肉体改造を試み翌1986年の開幕戦・スペインGPに登場。予選ではポールポジションを獲得し、決勝レースもスタートからトップを独走した。しかしスペンサーはレース中に右腕に故障を発症してピットインし、そのままリタイア[3]。以後のレースでもリタイアが多く、スペンサーはシーズン途中で戦線を離脱し、結局1986年は獲得ポイントなしであった。
1987年、復活をかけたデイトナのスーパーバイクレースにおいてVFR750を駆り予選最速タイムを叩きだすが、前走車の転倒に乗り上げてしまい転倒骨折、本戦には進めなかった。[4]世界GPの開幕戦・鈴鹿(日本GP)では予選初日の第1回目セッションを5周しただけで手首の状態が良くない事を理由にエントリーを取り消し。スペンサーがレースに戻ったのはシーズン中盤戦以降であった。ポイント獲得はスウェーデンGPでの7位完走・4ポイント獲得の1回のみであり、ランキングは500ccクラス20位であった。
1988年にはスペンサーに対するロスマンズのスポンサードが復活し世界GPにフル参戦する予定だったが、オーストラリアでの開幕前テスト走行でやはり右手首の腱鞘炎の痛みが消えていない事が確認され、3月16日に現役引退を発表。開幕戦・日本GPの会場である鈴鹿サーキットを、ゼッケン19をつけたロスマンズカラーの最新型NSR500で1周ゆっくりと手を振りながら引退記念走行を行った。
カムバック
約1年後、スペンサーは手首の手術を行った結果、状態はほぼ万全に近くなったとして引退を撤回。1989年にはジャコモ・アゴスチーニ率いるマールボロ・ヤマハチームに加入し、YZR500で世界GPに参戦した。しかし思わしい結果は出なかったため、シーズン途中でチームを去ることになった。帰国後には背中の手術もしている。1992年当時、フレディの腕の不調の原因は白蝋病、と言われていた[5]。
1990年のデイトナではVFR750Rでスポット参戦。翌1991年、1992年とAMAスーパーバイク全戦に参戦し1991年に1勝、1992年に1勝を挙げた。1992年のホンダの勝利は彼だけだった。
1992年には日本の鈴鹿8耐にミスタードーナツホンダRVFで参戦。最新ワークスマシンではなかったにもかかわらず予選3位と驚異的なタイムを記録、決勝は転倒を喫しながらも4位で完走した。その後、かつてのパートナーだったアーヴ・カネモトの協力で、南アフリカGPの数日後にキャラミでNSRをテストする機会を与えられ、ここでも好タイムをマークした。
1993年にはヤマハ・モーターフランスチームから世界GP500ccに参戦するも、やはり好結果を残すことは出来ず、同年をもって世界GPからは完全に引退した。
1995年にAMAスーパーバイクレースにドゥカティから参戦し、ラグナセカで優勝。1996年に二度目の引退を発表し、以降はレースへの参戦は無い。
近況では、アメリカのラスベガスでバイクのライディングスクールを経営していたが、世界不況の煽りを受け現在は休業している。2008年には鈴鹿8時間耐久レースの特別イベントとして、かつて1985年にWGPチャンピオンを取ったマシンNSR500でデモラン走行を行い8耐に来た観衆を大いに沸かせた。
フレディー・スペシャル
スペンサーが直接開発に携わった1984年〜1986年型NSR500は、当初ワークス系チーム内でもスペンサーにのみ与えられており、"フレディー・スペシャル"と呼ばれた。
なお、1986年シーズンはチームメイトのワイン・ガードナーもNSR500でレースに出走。以後はNSR500がワークスライダーとサテライトチームに供給されている。
特徴
バイクを長い手足(身長178cm)の下で自在に操り、コーナー終盤の立ち上がり加速を重視するライディング・スタイルが特徴とされる。ファーストラップから驚異的なタイムでライバルを引き離し、2位以下に大差をつけての独走優勝というレース展開が多かった。アメリカ国内で走っていた時代には既に、第1周回から圧倒的なラップタイムで他を引き離す走りで知られており、“ファスト(速い)・フレディー(Fast Freddie)”と呼ばれた。
スペンサーの走法は、キャンバーアングル(バンク角)の変化によるマシンの向き変えが異様に鋭く、ダートトラックレースの走法であるパワースライドを用いて両輪差を駆使し、定常円旋回している時間が極端に短いのが特徴だった。また他のライダーに比して高回転域まで使用することでも知られた。
1983年のフレディについて、おなじNS500を操るチームメイトだった片山敬済と片山のチーフ・メカニックを務めていた杉原真一は次のように語っている。「フレディの膝の動きはバランサーだ。別に路面がデコボコしているわけじゃないのによく動く、バランサーだな」(片山敬済)[6]。「フレディはわりとすべっても平気だよ。よく感知できないっていうか。エッ!! すべってたの、ってカンジだ」(杉原真一)[7]。また、片山は、フレディが自己流なライディングをしていると言われていることに対して、「フレディは、タイヤがすべっていることはよくわかっているよ。ちゃんとコントロールしているんだよね」(片山敬済)と話している[8]。
アメリカ時代から日本のアライヘルメットを愛用しており、レプリカモデルのヘルメットがファンの人気を集めた。このデザインは元々USホンダのオリジナルであったがスペンサーはそのヘルメットのまま世界GPに出場し有名になったため、スペンサーレプリカとして世に広まった。オリジナルは白地に頭頂部が赤、青ラインのトリコロールであるが1985年からの白地に頭頂部が紺、赤ラインのロスマンズカラー、1989年ヤマハ移籍時の白地に頭頂部が赤、黒ラインのマルボロカラーなどがある。2015年現在でも南海部品が最新モデルの帽体を同デザインに塗装したモデルを販売中である。
宗教上の理由から飲酒喫煙はせず、カフェインの摂取も忌避していたが、ドクターペッパーを愛飲していた[9]。全盛期となった1985年シーズンには、ヨーロッパ各国を巡る世界GP開催地に美しい婚約者サリー・ジョベール(1985年のミス・インターナショナルの準ミス)がずっと帯同していた(のち婚約解消)。
人物
フレディは敬虔なモルモン教徒である。1983年シーズン半ばにある雑誌のインタビューに次のように語っている。
「僕の走り自体は神にすべてコントロールされている。僕は神に守られているのだ。そこには恐怖心など何もない。ただ、ひたすら神を信じて走ればいいだけのことなのだ」(フレディ・スペンサー)