お久しぶりです。
仮面女子の猪狩ともかです。
この度は沢山の方々にご心配をお掛けしてしまい、大変申し訳ありません。
私は4/11(水)に強風で倒れた看板の下敷きになってしまうという事故に遭いました。
その日は強風でした。ニュースになるくらい日本の各地でとても強い風が吹いていたそうです。
私はいつものように歩道を歩いていました。
突然強い風が吹き、建物の大きな看板が倒れてくるのがわかりました。
看板があまりに大きすぎてとっさに避けることはできませんでした。
気付けば看板の下敷きになっていました。
出せる精一杯の声を振り絞って「助けて…!」と口にしました。
その時はとにかく苦しく、早く楽になりたいという思いでした。
それからすぐのことだったと思います。
通行人の方が看板を持ち上げてくださって、救急車に運ばれました。
後から聞いたお話では、看板は建物の敷地を飛び越え歩道全体に覆いかぶさっていた状況だったそうです。
それから緊急手術を受け、ICU(集中治療室)に入院しました。
その後、HCU(高度治療室)を経て現在は一般病棟に入院中です。
主に負った怪我は、
・瞼裂傷
・頭部挫創
・骨折(脚、肋骨、胸椎、腰椎)
そして、
・脊髄損傷
その影響で両下肢麻痺。
私は歩くことはもちろん、自分の力で脚を動かすことすらできなくなってしまいました。
治る可能性は極めて低く、
今後、車椅子での生活を余儀なくされました。
体調・怪我は徐々に良くなり、今は自立した車椅子生活を送れるよう毎日リハビリに励んでいます。
退院は今から約3ヶ月後の予定です。
ずっと心配してくださっている皆さんにまずは早く「私、大丈夫だよ!」って言いたくてもどかしい日々が続きました。
でも私自身、状況を把握・受け入れるのに相当な時間が掛かりました。
なんて伝えたらいいんだろう?
私も時間をかけて受け入れたのに、いきなり【脊髄損傷】という事実を文字にして伝えたとき、応援してくださっている皆さんに更に悲しい思いをさせてしまうんじゃないか…。
自分自身が受け入れることに時間がかかったこと、ファンの皆さんに何とお伝えしたらいいか分からなかったこと、そんなことを考えていると、なかなか文章にまとめることができず、ご報告が遅くなってしまいました。
ごめんなさい。
きっと私自身、これから両下肢麻痺と付き合っていく生活について、知らないことがまだ沢山あると思います。
主治医から私への説明は、
「脚の感覚が戻るのには個人差があるので何とも言えません。とにかくリハビリを頑張ってね。」
とのことでした。
脊髄損傷について無知な私は、
「数ヶ月で治るのかな?」
「復帰のステージは笑顔でファンの皆さんに会いたい!」
「また始球式をやらせて頂ける機会があったら次こそノーバウンドで!」
なんて、ベッドの上で考えていました。
私には【脚が動かない】という未来が見えていなかったんです。
手術から数日後、父と姉と話しました。
姉「治ったら一緒にメットライフドーム行こうね!」
父「お父さんは甲子園も一緒に行きたいな。」
私「また始球式があるとしたらそれまでに治るかな!?」
父「車椅子でも投げられるんじゃないかな?」
私「えー、嫌だよ。治して投げる!」
父「…まぁ今はリハビリを頑張ろう。」
精神科医とも色々お話をしました。
突然 脊髄損傷で脚が動かなくなった患者に対しては、主治医と共に精神科医もつくそうです。
きっと家族や事務所、病院の先生方は私がショックを受けないように細心の注意を払ってくれていたと思います。
周りの反応や発言でだんだんと自分が思っているのと違うと感じたのは、HCUに移ってからのことでした。
その日は母と兄が面会時に来ていました。
本当のことを知ったら私は深くショックを受けるかもしれない。
でも覚悟を決めて質問をしました。
私「脚は治らない可能性の方が高いの?」
母「……うん。」
私「私に隠してた?」
兄「今はまず生きていく為に体調を戻さないとだから。」
私「そっか。」
母「でも先生はリハビリを頑張れば奇跡的に脚が動くこともあるって言ってたよ。それを信じて頑張ろう。」
私は歌も踊りも特別上手くはないけど、ステージに立ってライブをして楽しんでくださる皆さんの笑顔を見ると、またそれで自分が笑顔になって…
ファンの皆さんのおかげで“アイドルの猪狩ともか”でいることができる。
そんな時間が大好きです。
だからもちろん
【ステージ復帰】を目指していました。
でもこの事実を知って…
“歌って踊らなくなる時 = 卒業”
としか考えたことがなかった私は、踊れない猪狩ともかを想像することができなくて。
そんな状態の私に需要はあるのか。
いったい何ができるのか。
絶望しました。
事故に遭うまでこの先ずっと普通に歩けると思っていたし、踊れると思っていました。
急に脚が自由に動かせない、自分のものじゃなくなったような感覚になると思ってもいませんでした。
でも不思議と
“仮面女子としての活動を辞める”
という考えに至ったことは1度もありませんでした。
今後どうしたいか考えたときに
“車椅子の猪狩ともか”としての活動を
自然と想像している自分がいました。
そう思わせてくれたのは
支えてくれる周りの全ての人でした。
「車椅子に乗っていたって人を幸せにしたり喜ばせたり、誰かの希望になることは出来るよ。」
「ともちゃんは人を楽しませる、幸せにすることのできる子だから、どんな形であってもそれを続けてくれたら嬉しい。」
という家族の言葉。
「車椅子に乗って色んな場所行こうね!いっぱい遊ぼう!おばあちゃんになっても!!」
という友達からの言葉。
「その明るさで周りのリハビリ頑張っている皆さんのことも明るくしてください。みんなの光になってください。」
という先生の言葉。
「スタッフ全員、猪狩ともかと共にずっと活動していくって気持ちでいるよ。猪狩のやりたいことを叶えたいから何でも言ってね。」
という事務所からの言葉。
「どれだけ時間がかかっても待ってるから。いつでも戻ってこれるようにライブ盛り上げてステージ守るからね!」
というメンバーからの言葉。
そしてファンの皆さん。
劇場で黄色サイリウムや横断幕を掲げてくれて、回復祈願をしてくれたこと。
心を込めて千羽鶴(1209羽)を折ってくれたこと。
皆さんが一羽一羽心を込めて折ってくださったのと同じように、私もベッドの上で一羽一羽数えました。
#いがともちゃんがんばれ
という応援ツイートも見れる限り読ませて頂きました。
きっとハッシュタグがついていなくても心配や応援してくださる声が、たくさんあったと思います。
お手紙もたくさん受け取りました。
皆さんの温かさに何度も救われました。
夜にひとりで不安になったとき、皆さんの言葉が本当に救いでした。
皆さんの気持ちは確実に私に届いています。
心からありがとうございます。
私が大切な節目によく言う言葉、
【希望の光になりたい。】
こうなってしまった今もこの気持ちは変わりません。
脚が動かなくなっても、車椅子に乗りながらやりたいことはたくさんあります。
仮面女子の曲を作詞したいです。
ラジオや講演、司会など、お話する仕事をしたいです。
生きている限り埼玉西武ライオンズの応援をし続けていきたい、野球のお仕事をしたいです。
今回の事故を自分自身のために残すため、手記を本にしたいです。
挙げればキリがありません。
今までとは方向性は変わるけど、何かを発信していきたいという気持ちは何ひとつ変わりません。
そして最終的にはやっぱり、これは“神様の存在”とか“奇跡”という言葉になってしまいますが、脚が元通り動くようになって【アイドルとしてステージで踊りたい】です。
幸せなことに、待ってくれている人たちがたくさんいます。
このことが私の最大の励みになっています。
時間はかかるかもしれません。
元通りは無理かもしれません。
でも必ず笑顔で「久しぶり!」って元気な姿で皆さんに会いたいです。
事故があったあの日、まさか自分がこんな目に合うとは思っていなかったです。
家族も友達も、事務所のスタッフも、メンバーも、ファンの皆さんも、誰も思っていなかったでしょう。
あの日、たまたまあの時間に歩道を歩き、たまたま私が大きな看板の前を差し掛かったときに特別強い風が吹き、看板の下敷きになりました。
もし、看板の前に到着する前に、靴ヒモがほどけて直していたり、誰かから電話が鳴って歩みを止めてお話したり、喉が乾いて自動販売機で飲み物を買ったり、わずか数秒でも手前で何かをしていたら私は事故には遭っていませんでした。
もし、なんてことはないのは分かっているけれど、色んな偶然が重なって私の両脚は動かなくなってしまいました。
でも、命が助かりました。
目撃者のお話によると現場は酷い状況で、命が助かっただけでも有難い状況だったそうです。
私は生きています。
このことだけは何にも代えることのできない神様からのプレゼントだと思っています。
その分試練も与えられたけど、きっと越えられない試練は与えないはず。
よく、ドラマや映画で「明日何があるか分からない、今を大切にしよう。」という言葉を聞きます。
今までその言葉を大切にしてきたつもりではあったけど、改めて本当にその通りだと思います。
だからこれからどんなことがあっても、
向日葵のように上を向いて楽しくて幸せな人生を歩んでいく。
そして毎日を丁寧に大切に生きていきたい。
私は前を向いています。
もう心配しないでね。
これからも猪狩ともかを見守ってください。
そして一緒に歩んでいければ嬉しいです。
この先もずっと、よろしくお願いします。
It's been a long time.
It's also a masked girl igari.
I'm very sorry for worrying about so many people this time.
I was in an accident on 4/11 (Wed) that it was going to be the bottom of the sign that fell down with a strong wind.
It was a strong wind that day. It seems that there was a very strong wind in various places in Japan in the news.
I was walking on the sidewalk as usual.
I see that suddenly the strong wind blows, and the big sign of the building is falling down.
The sign was too big, so I couldn't avoid it quickly.
It was on the bottom of the restorative sign.
I said, " help me... with the best voice I can get.
At that time it was painful and I wanted to make it easier.
And I think it was right away.
A passerby was transported to an ambulance to lift up the sign.
From later on, it seems that the sign was covered in the whole sidewalk of the building.
Then I got an emergency surgery and I was hospitalized for ICU (Intensive Care room).
After that, I'm currently hospitalized in the general ward after the hcu (Advanced Treatment room).
The injury of the Lord is the one who is the one
Eyelid laceration
The head of the head
Fracture (legs, ribs, thoracic spine, lumbar vertebrae)
And then
Spinal damage
Due to the influence, both lower limb paralysis.
I couldn't even move my legs with my own power to walk.
The possibility of being cured is extremely low,
In the future, I have been forced to live in a wheelchair.
Health injuries gradually get better, and now I'm encouraging rehab to send an independent wheelchair life.
Discharge is about 3 months from now.
To all of you who have been worried about me, I wanted to say " I'm okay!" the days have continued.
But myself, it took a lot of time to figure out the situation.
What should I tell you?
I also accepted it in time, but when I told the fact that it was suddenly [spinal damage.... I'm going to make you feel even more sad....
I didn't know what to say to all my fans that I had time to accept it, and when I thought about it, I couldn't put it together in the writing, and I was late to report it. Yes.
I'm sorry.
I'm sure there's still a lot of things I don't know about the life that I'm going to get together with my lower limb paralysis.
My Doctor's explanation of me,
" I can't say it because there is individual difference in the sense of legs to return. Good luck with your rehab anyway."
That's what I was talking about.
I'm ignorant about spinal damage,
" I wonder if it will heal in a few months?"
" the stage of return is a smile and I miss you all my fans!"
" if you have a chance to be able to do the first pitch again, next is the no bound!"
What a thought on the bed.
I didn't see the future that [legs don't move]
A few days after the surgery, I talked to my father and sister.
Sister: " Let's go metlife dome together when it's healed!"
Father: " Dad wants to go with koshien too."
Me: " if there is another pitch ceremony, will it be cured by then!?"
Father: " I wonder if I can throw a wheelchair?"
Me: " eh, I hate it. Heal and throw!"
Father "... well now let's do our rehab."
I talked about a lot of things with psychiatrist.
It seems that there will also be a psychiatrist with a doctor for a patient who has suddenly lost his legs with spinal damage.
I bet the family, office, and hospital teachers paid close attention to me not to be shocked.
It's been a long time since I moved to hcu that I felt different from what I think about the reactions and remarks around me.
My mother and brother came to see me on that day.
I may be deeply shocked if I know the truth.
But I was prepared and asked a question.
Me: " legs are more likely not to be cured?"
Mother "...... yeah."
Me: " I hid it?"
Brother: " now I have to get back to life."
Me: " oh yeah."
Mother: " but the teacher said that if you go to rehab, you can miraculously move your legs. Let's do our best to believe it."
I don't even sing and dance special, but when I see everyone's smile that I'm going to stand on stage and enjoy it, I'm going to have a smile again...
Thanks to all the fans, I can be "idol igari"
I love time like that.
So of course
I was aiming for [stage return]
But know this fact...
"when you sing and don't dance = Graduation"
I've only thought about it, and I can't even imagine igari who can't dance.
Is there a demand for me in such a state?
What the hell can I do?
I'm desperate.
I thought I was going to be able to walk in a normal way until I was in an accident, and I thought I'd dance.
I can't move my legs freely, I never thought I'd feel like my own.
But wonder
"quitting activities as a masked girl"
I've never been to the idea of 1 degrees.
When you think about what to do in the future
Activities as "Wheelchair Igari"
I had myself that I imagine nature.
That made me think so
It was all the people around you who supported me.
" when you're in a wheelchair, you can make people happy or happy, and you can be someone's hope."
" I would be happy if you continue to do it in any form, because you are a child who can make you happy and happy."
The Word of the family.
" Let's go in a wheelchair and go all kinds of places! Let's play a lot! Even when I become an grandma!!"
A word from a friend.
" please light up all of you who are working hard on the rehabilitation around you with its brightness. Be the light of everyone."
The Word of the teacher.
" I feel like I'm going to work all the time with the whole staff, igari. Say anything you want igari to do."
Words from the office.
" I'm waiting for how long it takes. I'll make a live show and protect the stage so I can come back anytime!"
A word from a member.
And all the fans.
What a prayer and prayer for holding yellow thanos and banner at the theater.
It's been a long time since I've been in the middle of a paper cranes.
Just as you all broke with one feather, I also counted one feather on the bed.
#いがともちゃんがんばれ
I was able to read it as long as I can see the cheering tweet.
I think there was a lot of voices that were worried and cheering on me even if I didn't have a hashtag.
I received a lot of letters.
I've been saved by your warmth many times.
When I was anxious at night, everyone's words were truly saved.
Everyone's feelings are definitely delivered to me.
Thank you very much from the heart.
Words that I often say to a milestone that is important,
[I want to be the light of hope.]
This feeling doesn't change even now.
There's a lot of things I want to do while riding a wheelchair even if my legs aren't moving.
I'd like to write a song of a masked girl.
I want to do a job to talk about radio, lecture, emcee, etc.
I want to keep supporting saitama seibu lions as long as I live, I want to do a baseball job.
I want to book a note to leave this accident for myself.
There is no got.
The direction is changing until now, but the feeling that I want to send something is not changed.
And in the end, this is the word " God's presence " and " miracle but the legs are moving back, and I want to dance on stage as an idol.
Happiness, there are a lot of people who are waiting for you.
This is my biggest encouragement.
It may take some time.
You may not be able to get back to it.
But I'm sure to smile, " it's been a while!" I want to see you all in a good way.
That day when there was an accident, I didn't think I'd ever see this.
No family, no friends, no office staff, no members, no fans, no one would have thought.
On that day, I happened to walk on the sidewalk at that time, and it happened to be a special strong wind when I was in front of the big sign, and it turned out to be a sign of the sign.
If the shoe pimp is untied and fixed before I arrive before the sign, someone calls me to stop walking and talk, thirsty and buy drinks on vending machines, just a few seconds I wasn't in an accident if I was doing something in front of me.
I know it's not a thing, but there's a lot of coincidences, and my legs aren't moving.
But my life was helpful.
According to the witnesses, the site was a terrible situation, and it seems that it was a good situation to be able to save life.
I'm alive.
I think this is a present from God who can't replace anything.
I was given a test, but I'm sure I won't give you a test that can't be crossed.
I often hear the word " I don't know what tomorrow is tomorrow, I will take care of it."
I was going to take care of the word until now, but I think it's really true.
So no matter what it is from now on,
Looking up like a sunflower and walking in a fun and happy life.
And I want to live every day carefully and cherish.
I'm looking forward.
Don't worry about it anymore.
From now on, please watch over igari too.
And I would be happy if I could walk with you.
Thank you very much for your continued support.Translated
同時也有2部Youtube影片,追蹤數超過7,420的網紅まとめまとめの,也在其Youtube影片中提到,【まとめのまとめ】 チャンネル登録はこちら https://goo.gl/QN6ioA 以下、うちの話 義母は義父が亡くなってから 1人暮らしで小型犬を溺愛してて あるとき手術をすることに なって犬を預けることになった うちは隣の市、今までも 旅行時に預かったこともあり、 義母が退院するま...
肋骨 ひび 早く治す 在 まとめまとめの Youtube 的最佳貼文
【まとめのまとめ】
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以下、うちの話
義母は義父が亡くなってから
1人暮らしで小型犬を溺愛してて
あるとき手術をすることに
なって犬を預けることになった
うちは隣の市、今までも
旅行時に預かったこともあり、
義母が退院するまで預かる
予定だったんだけど
うちより近い義兄嫁が妊婦で
パートやめたからバイト代
もらえたら運動がてらでって
ことで預かりますよって
言って義母も近い方が何かと
安心ってことで決まった
その時は、いずれ義兄家が
義実家リフォームして
住むって話だったし犬と
仲よくした方が良いと思った
でも結果が大失敗だった
散歩中に義兄嫁転倒して
リードをはなし、
犬がバイクにはねられたそう
その時は犬は怪我してない
ように見えたらしい
義兄嫁は転倒した自分と
お腹の子の安全で頭いっぱいで、
速引き返して産院へ行ったそう
検査の結果は異状なしで
打撲のシップ貰って帰ったら
犬が苦しんでいて、
獣医に行ったが手遅れ…
当然だけど義母はものすごく怒った
義兄嫁は最初は謝ってたけど
開き直って
「お腹の子と私が無事だった
のだからいいじゃないか」
と言い切った
義母は義兄家との同居計画を
白紙に戻し(義実家はいい
場所にあったから、
住む気だった義兄嫁がとても揉めた)
数年後には義実家の土地売却
して義妹の家の側にある
グループホームへ入居して、
そこで亡くなった
(義妹が介助介護してくれた)
遺言書はちゃんと法律
事務所で作ったもので
義妹と義妹夫
(義母と養子縁組)
に大半を遺し、
私夫に300万、義兄家にはゼロ
手紙が添えてあって、
義妹夫婦への感謝とうちのは
子供の教育費の足しにしてほしい、
そして義兄が遺留分を請求
するなら権利だから自由に
すればいい、
義父さん亡き後の大事な
家族だった犬を●して
開き直った嫁とその子には
ほんとうに一銭も
あげたくないと思ってるって
ことだけ伝わればいいってあった
義兄嫁は酷い酷いっていってたけど、
義兄は遺留分請求しなかった
犬は可哀想だが、死後まで
ひきずるとか執念深いトメだな、
読んでこっちまで気分悪く
なったじゃないかどうしてくれる
わざとじゃない不幸な
事故なのにそこまでする義母もなあ
大事な家族と思うなら
妊婦になど任せないでペット
ホテルにでも預ければいいのに
リード放したら逃げ出したのも、
その程度の躾けしかして
なかったんだろうし
自分の不備なのに逆恨みだよね
逆恨みであっても、義母の財産だから
嫌いな人間にはびた一文
残したくなかったんだろう
義兄はなんで遺留分請求
しなかったのかは知らん
> 妊婦でパートやめたから
バイト代もらえたら運動が
てらでってことで
預かりますよって言って
トメが押し付けたんじゃなく
義兄嫁側からの提案で
しかもバイト代取って
たんならトメが怒るのは当然な気も
開き直るのはないし、
遺産貰えると思うのもない
事故なのに●した呼ばわりも
ないと思う
トメが執念深すぎて気持ち悪い
義兄は馬鹿なんじゃないの
執念深かろうが何だろうが
自分の財産を自分の好きな
ように分配するのは自由だろうよ
義兄嫁が開き直ったり
しなきゃよかったのに、
バカじゃね
義理の仲で嫁とまだ生まれ
てない腹の中の子の無事を
喜べとかムリゲー
>義兄嫁は最初は謝ってたけど
とあるから、謝ったのに
義母の怒りが治まらなくての
開き直りじゃないの
だから最後まで謝り倒そうが
義母の恨み怒りは消えなかったと思う
そりゃ最初くらいは誰だって
謝るでしょうよ
自分から「バイト代」
なんて言い出す人なんだしね
取りあえず将来建てる家の
為に義母の怒りを鎮めなきゃ!
と思ったけど
失敗したから開き直ったって感じ
動物を飼っている
人にとっては我が子と
同じくらい動物に愛情を
持っているんだから
やっぱり義兄嫁が開き直る
のは良くないと思うよ
もしこの時に何事もなく
過ぎていても同居を始めたら
問題が起こっていた気がする
302が預かる予定だった
ものを自分から割って入って
バイト代貰うつもりで
預かった以上●なせたら怒ら
れるのは当然
更に開き直られた日には
コイツとは一緒に
暮らせないと思われても当然
面倒見てくれた実娘に財産の
大半を譲るのも当然
文句があるなら遺留分請求
すればいいと言ってるんだから
そこまでするとかいわれる
筋合いはない
>
「お腹の子と私が無事だった
のだからいいじゃないか」
と言い切った
義兄嫁が心の中でそう思う
のは自由だが
愛犬亡くして悲しんでる
トメに言ったらそこで終わり
絶縁する覚悟で言うなら
好きにしたらいいけど、
この義兄嫁はその後も同居
する気満々だったってのが怖すぎ
> 義母は義兄家との同居
計画を白紙に戻し(義実家は
いい場所にあったから、
住む気だった義兄嫁がとても揉めた)
過去の事なんで遺産相続も
すべて終わった話なんだ、
説明足りなくてごめんね
> 義兄嫁は最初は謝っ
てたけど開き直って
「お腹の子と私が無事だった
のだからいいじゃないか」
と言い切った
これ、何日もかかった
果てじゃなく1日の間の出来事で、
だから義母の怒りが
深かったとお思っている
午前中に義兄嫁から、
預かった犬が●にそう!
助けてって電話が来て
子供を実家に預けていそいで
車で向かったけど間に合わなかった
我が家でも何度も預かった
犬なので悲しかった…
死因は肋骨が内臓に刺さって
出血してたかららしい、
歩いてる時に
いびつじゃありませんでしたか?
って獣医さんが聞いたけど
義兄嫁は気づかなかったそう
リードひいたら歩いて
いたから大丈夫だと
思ったって答えていた
もっと早くに連れて来たら
助かったかもしれないと言われた
犬が●んでしまったことを
義母に知らせなくて
はっていうことで、
義兄嫁に頼まれて車で義母の
入院先へ同行した
手術は済んでて傷の回復を
待って退院する状態の義母に
報告して謝罪する義兄嫁
義母が怒って、バイクの人を
呼べと言ったけど誰だかわからない、
連絡先交換してないと言った
無責任な人に預けるんじゃなかった、
犬を返せと怒る義母
ここで義兄嫁が泣きながら
「私とお腹の子が無事だった
のだからいいじゃない!」
と開き直った、
びっくりした
(私はひたすら傍観者)
義母が義兄嫁に顔
見たくないからもう帰ってと言い、
私に獣医さん介して犬の
火葬を依頼したので引受けた
精神的にくたくたになって
家に帰ったら夕方だった…
たった一日の出来事
自分から預かるって言って
おいてそれはないよね。
犬の事も気に掛けてたら
おかしいかどうか気にするだろうし、
物としか考えてなかったんだね。
変な言い方だけど義兄嫁の
気持ちは分からないでもない
犬も気の毒だとは思うし
義母の悲しみも分かる
でも開き直るのだけはダメだ
自分に非があるときはまずは
謝って謝って謝り倒すしかない
許すかどうかを決めるのは
相手なんだから
どんなに責められても強気に
出るのはアウト
義兄嫁の中に
「犬ごときでここまで言わ
れるなんて」
と言う気持ちがあったんだろうね
自分から【バイトとして】
預かると言ったんだから責任
持つのは当たり前
お腹の中の子供が他のどんな
命よりも大切と言う
認識ならば犬を
預からなければ良かった
その一連の出来事を間近で
見ていた義兄が遺留分を請求
しなかったと言う事は
自分の嫁の言動は
母にとっては絶対許せない
事と分かっていたからじゃないかな
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【まとめのまとめ】
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修羅場ってか人生終わった話していい?
一昨日喫茶店で小説読んでたらいきなりババアに椅子で頭殴られたんだよ
いきなりの出来事に俺は痛みでうずくまったらガンガン背中を椅子で殴りつけられた
一昨日じゃなくて一昨年だ
とりあえずどうしていいか分からなくて頭抱えて亀になってた
ババアが「ケーサツ呼んで!」みたいなこと叫び始めて一瞬攻撃が止まった隙に華麗にローリングして窓際に退避
とりあえず、痛いのを我慢して「何なんだよぉ!」って泣き声で叫んだ
周りにいた客がババアを抑えてくれたおかげでどうにかババア止まった
店員の女の子が俺の頭に雑巾を押し付けたんだよ
するとビックリ血塗れだよ
店長みたいな人が奥から出てきてババアをなだめとりあえず話を聞くことに
ババアは終始興奮して「ケーサツは!?」とか「この泥棒!」とか叫んでた
ババアが言うことには全く身に覚えがない
10分くらいして警察官が来た
その頃にはババアは少し落ち着いていて「絶対に許さない」とか俺を睨んでいた
警察官が話を聞いたところ、先日の夜にバイクに乗った男に鞄をひったくられ、大金の入った財布やら家鍵とか貴重品もろもろ持って行かれたらしい
で、その犯人が俺だっていうわけだ
その日の夜は友達と飲んでたし、そもそもバイクの免許をもっていない
ひどい話だな
俺は身に覚えがないし、居酒屋に行けば多分俺のこと覚えてる人がいると思うって警察官に言った
でも警察官の人は署で話は聞くって一点張り
多分この時点で警察官の人は俺を犯人だと思っていたと思う
金髪でチャラいカッコをしていた俺が馬鹿だったのかもしれないけど、警察官はババアの心配しかしてない
「お怪我はありませんか?」とか「もう安心してください」とか
明らかに俺の方が重症なのに
警察は当たりハズレ激しい(ほぼハズレ)だからな
人違いで頭かち割っといて被害者面ってどこの連合のババアだよw
金髪とか関係ない。悪いのはひったくった輩とヒステリックババアだ
とりあえず派出所に連れて行かれた
しかも徒歩で
血塗れの男が警察官に連行されるとか、周りからみたら俺が暴力事件でも起したように見えただろうね
実際そう思われてたから俺はこの事件の後、いろいろあって引っ越したよ
派出所で警察官とババアと話す事になった
ババアの証言は
犯人と同じ服を着ていた
それだけだった
ババアが何らかの罪に問われるといいなって思うけど、
なんとなく無罪放免な予感がする
警察官も正直困惑してたよ
「他には?」とか「顔は見た?」とか聞いても
ババアは「顔は隠していたし後ろ姿しが見ていない でも服装が一緒」だとよ
そもそも後ろからバイクでひったくられて顔見てたらどんな超反応してんだよ
つか顔隠さないでひったくりする馬鹿いねぇだろ
確かに俺が着てたアロハは特徴的かもしれない
それだけで犯人と決めつけるならアロハシャツ着てる奴は全員同じ目にあっていただろう
とりあえず黙って聞いていたら、
ババアが「それにこの人金髪だし」と言ったら
警察官が嬉しそうに「何?髪型とかみたの?長さとか分かる?」とかなんとか
俺は矛盾多過ぎじゃね?とか思いながら聞き続けた
ババアは「見てない
でもこの人金髪だもの」
は?
なにそれ 金髪だものって 相田みつお か
ババア曰く、金髪に染めてる奴は大抵こういうことをする奴らしい
ワケの分からん理論に同意していた警察官をみて俺はついにキレた
キレたと言っても暴れたりしたわけじゃないけど
ババアの証言にもなってない証言を全部指摘した
だんだん思い出してイライラしてきたからちょっとおふざけしながら書く
俺「…本当にそれだけで俺を犯人だと思ったんですか?」
ババア「しらばっくれちゃって!
早く返しなさいよ!泥棒!」
警察官「…」←無言で俺を睨む
俺「だいたいさ、夜道を後ろからひったくられてちゃんと姿確認できたんですか?」
ババア「したわよ アロハシャツが証拠じゃない!」
金髪は悪!極悪人!
って考えなのかしら
ばばあおっかねーわ
金髪は悪人って偏見だな
まあハゲはスケベ 絶倫てのと同じだな いや違うか
俺「はっきり覚えてるんですね?」
ババア「当然よ 忘れるわけないじゃない!」
俺「ふーん…じゃあ、背中のロゴは何て書いてありました?」
ババア「え、英語なんで読めないわよ!」
俺「…じゃあ柄は?」
ババア「花柄よ」
俺「まぁアロハですからね
普通は花柄でしょう
じゃあ…その花柄の色は?」
ババア「そ、そんなの知らないわよ!」
俺「そうですか。ハッキリ覚えてるんじゃないんですか?」
ババア「ぬぅぅ…!」
俺「だいたい夜道で暗いのに本当覚えてるんですか?
しかもバイクで一瞬だったんでしょ?」
ババア「いい加減にして!」
俺「いい加減にするのはあんたでしょ?
アロハ着てるだけでいきなり椅子で殴りつけるとか、普通に考えたらそっちが犯罪だろ
警察官さんも何で俺が殴られて血塗れなの放置してるんですか?
いい加減病院行かせてください
それともこのババアの証言を信じて俺を逮捕するんですか?」
ババアと警察官は何も言い返してこなかったよ
間も無く上司の人が来て、ババア厳重注意だけで済まされた
俺は額を3針縫って、肋骨にヒビが入っていた
ババアから電話がかかって来て、謝罪かと思ったら、俺が犯人じゃない証拠はあるのかという内容だった
警察官を再び呼び、好きなだけ言わせた
そして全部論破してやった
ここでババアとは一応終わった
傷害罪で本当に訴えようと思ったが、お金が無いのでやめておいた
傷害で刑事告訴するのに何故金が必要なのかわからん
現行犯だから手続きも面倒臭くないしな
大体治療費どうしたんだよ
医者への説明の仕方によっては保険効かねーだろ
あの時はなぜか裁判になるとか考えてた
ってか今も思っていた
でも正直めんどくさいしもう関わりたく無かったな
ちなみに治療費はババアが払った
被害届出すだけじゃないか…
さらに後日、俺はバイトをクビになった
どうやら警察官に連れて行かれるのを店長に見られてたらしい
事の顛末を話すも聞き入れてもらえず、俺はバイトを辞めた
家ではもともと仲がわるかったのが更に悪化
親は「恥ずかしくて外も歩けない」とかテンプレみたいなことを言って俺と絶縁状態に
近くに住んでいて欲しくないらしいので再びバイトして半年くらいで引っ越した
あれ以来親とは連絡していない
今は金髪もやめてアロハも着てない
これで終わり
まあしかし警察の対応がおかしいのはよくある
謝罪するなら~って電話番号教えたり
最近はそうでもないだろうけど
そんな人間が店長やってるバイトなんかやめた方が正解だったし、
そんな毒親も絶縁して正解。
ポジティブにいこうや。