【クラウドファンディングスタートまで3日です】
あと3日でクラウドファンディングです。少しでも多くの方に
このページの主は、どんな人か?
人力車で世界一周する大ばか者が、どんな人間なのか?w
勝手に語らせていただいてます。
昨日も、注意されましたが…
語彙脱字が、あればすいません。
※話すのは、好きですが…作文は、かなり苦手です。笑
それでは、今日の内容です。
その前に………
昨日までの紹介、昨日は、番外編ブラジル一人旅でした。
一昨日は、自分の人力車デビュー1年目の紹介でした。
三日前は、自分の0歳〜22歳までの経歴を紹介しました。
そして今日は、人力車の話もしたいのですが、
少し今日も予定を変更します!!!!!
はい!今日は、初めて挑戦したプロジェクトのついて
話させていただきます。
☆「自分の経歴Part4番外編 折り鶴10万羽プロジェクト」☆
「さあ。今日も働くか!!!」大学4年の春、自分は、バイトを4つ掛け持ちで
していました。理由は、夏に”ヨーロッパへ一人旅”に行くからです。
本来、大学生なので授業に行かないといけませんが、一度目標ができると
突っ走るタイプなので朝から夜中まで一日バイトしていました。
(そのおかげで現在かなりの体力と忍耐があるのかもしれません。笑)
朝は、クロネコヤマト夕方は、うどん屋さん夜は、居酒屋(串焼き)
そしてたまに夜中に別の居酒屋(海鮮)にも行ってました。
とにかく、かなりハードでした。笑
(この働いていた海鮮居酒屋に関しては、面白い話があるので
是非、話したいのですが、長くなるのとダークなので簡単に話すと
給料が出なくてプチ裁判(少額訴訟)を開きましてここで初の裁判を体験しました。)
少し面倒でしたが、これもいい経験やと思っています。笑
とにかく、
お金を貯めつつヨーロッパに行く準備をしていました。
しかし、ここでもまたオカンの”ひと声"で大きくプランが変わります。笑
ある日、
実家(一人暮らしでした)に帰りオカンと話していたら、
オカンが、「ヨーロッパでなんかしながら旅したらいいんちゃう?」っと…
自分は、一度ブラジルでうまくいったせいか、とにかく何でもできると思ってました。笑
ほんと幸せなやつです。2人で考えた結果、ヨーロッパで国際交流として折り鶴を集める旅をしようと
なりました。そこでまたもや、オカンが、スパイスを加えてきました。
「その折り鶴を被災地へと届けたらいいんじゃない?ブラジルでお世話なった人は、宮城の人なんやろ?じゃあその感謝の意味も込めて集めてきたら?」まさに完璧なる提案でした。俺は、一切迷いなしに「やるわ!!!」と言いましたが、
実際に被災地も行ってないし何も知らないのにしていいのかと?少し考えましたが、迷っても答えは出ないので
とりあえず東北に行ってみるわ!!ということで、数日後に夜行バスで東北へ向かいました。
※この時、東北大震災から約2年が、経っていました。
お金もなかったので泊まるところは、
決めずにとにかくネットで調べ被災してる場所へと向かいました。
宮城の女川へ着いたのですが、まさかの夜で宿も何もなかったので
バス停の小屋みたいな場所で、野宿しました。笑
翌朝、被災地をいろいろ周らせていただき、初めて見る姿にすごいショックで
お家もなく砂漠みたいな場所があったりしました。
あと、仮設住宅などでたくさんの人が住んでました。しかし、そこに住んでる人は、高齢者の方ばかりで、
これからどうにかして盛り上げないといけないのに、すごい難しい状況に今まで知らなかったことにぶっちゃけ、ものすごく申し訳なくなったし、これは、2年経ったが絶対に”忘れたあかん”と思いました。
少し自分にも迷いが、で始めたのがすでにたくさんの折り鶴が、東北には、ありました。
やはりに日本人です、考えることは、みんな同じですね!!!!
大きな問題と迷いを背負い京都へと帰宅しました。
帰ってとにかく東北のことを調べたり、ユーチューブ見たりして
何をすれば、意味のある喜んでいただけるのかな?
ただそのことにひたすら考えヨーロッパに行くことなんてとっくに忘れていました。笑
※すいません。話が長くなりそうなので少し飛ばします。笑
はい。調べたり動いたりオカンと相談した結果!!!!
このことを忘れてほしくない!!!ということで、
“2年経った"今"風化しないためにも一人一羽の折り鶴を10万羽集め届けよう!!
10万人から目を向けていただけるかもしれない!!”
これを目的と目標にし、やるならばヨーロッパだけでなく世界中からということで、
プロジェクト化し”鶴のひと声”というボランティア団体を造りました。
プロジェクトが、スタートし折り鶴を届ける場所もアポを取り見つかり、
クリスマスに東北で広島県の団体が開くイベントに参加することになりました。
とにかく、
地元の何人かに声をかけたり、イベント、SNS、飲食店、母校、とにかくあらゆるところへ
声をかけさせていただきました。
中には、沖縄まで折り鶴を集めに行く友達もいました。笑
自分の歌のライブなどで集めてくれる地元の熱い仲間もいました。
少しづつですが、折り鶴が集まってきましたが!!!!
やはり10万羽はすごい数です。この時、すでに6月です。
ってか12月までに10万人の人間に会うのも難しいの違うかと思いました。笑
なんか考えないとと思い過ごしていた中、たまたま呼んでいただいた草サッカーの試合で
朝日新聞の記者がいました。その人が、朝日の方とは知らずにこのことを話していましたら、
その方が、「うん!!それ面白い記事にしよう!!」ええええ!!はい。ということで、
新聞に載せていただき、一気に活動は、広がりました。
この時に、初めてメディアの凄さを肌で感じました。
とにかく全力で折り鶴を集める日々が過ぎ…いよいよ元々の目的であったヨーロッパの旅です。
ドイツーチェコーオーストリアーフランスーイタリアースペインートルコへと行きました。
とにかく言葉の壁は高かったですが、旅先で会った日本人に通訳していただいたり、
バックパッカーたちが集めてくれたり、ヨーロッパにある日本人学校へ訪問したりし約2ヶ月間
旅をしながら折り鶴を集めました。
一番の思い出は、まさかのドイツ(フランクフルト)でチャリティーイベントがあり、
そこでいきなり、話させていただきました。※人生で初の講演でした。笑
帰ってからまさかの思っていた以上に活動が、広がってて自然に折り鶴が、自分のところに
届くようになっていました。※HPやFacebookに住所載せてました。
一番遠いところで、九州から来たのにはびっくりました。笑
※今は、熊本が地震で大変ですね。少しでも早く熊本が良くなるため些細なことですが、
毎日震災関連の募金活動などあればシェアしていきます。
自分も少し活動をもっと広げれるよう、
ストリート折り鶴(路上でござを引いて折り紙を並べ声をかけ折っていただいてました。)を京都の三条大橋でしていました。
これが、またすごい力がありまして、急におにぎりを大量に持ってきてくれるおばあちゃんがいたり、大量の折り鶴を持ってくる方がいたり、路上でパフォーマンスし人を集めてくれる方がいたり、マジで多くの”愛”をこの活動を通し感じることが、できました。まあ!中には、「所詮!!折り鶴やんそんなんするなら折り紙容姿のお金を募金に周したほうがいいんちゃう?」という声もありましたが、全力で想いを伝えると、一羽の折り鶴を折ってくれました。何を言われても諦めず続けていくことでこの活動意味があるなとその時に感じました。
このストリート折り鶴には、またさらにすごい奇跡を生み出し京都新聞でカラーで載せていただきました。
あまりにも急激に折り鶴が集まりだしたので、もう自分のお家では面倒が見れません。笑
地元の友達が、所有している空き事務所があるので、そこで保管させていただきました。
さあ!!どんどん送られてきます。
まさかの佐川急便の大型トラックに大量に折り鶴が積まれていた時には、マジで焦りました。笑
折り鶴が、たくさん集まったのは、いいんですがここからがまた大変。
折り鶴といえば????そう!!!千羽鶴ですね。でも、届けるのがクリスマスなんでもう少し
プレゼントらしくしたいということで、折り鶴アートというのを考えまして、
とにかくみんなで折り鶴を使いクリスマスツリーの絵を何枚も作りました。
徹夜でしてくれたり、休日なのに来てくれたり、マジでみんなに感謝です。
なんとか準備ができ、
12月23日・24日・25日・26日に東北被災地クリスマスボランティアツアーを開きました。
友達が、マイクロバスをレンタルし京都から約24名でサンタの格好で東北へ向かい
宮城県・福島県・岩手県の仮設住宅やイベント会場へと届けました。
渡す際に泣きながら受け取ってくれる方がいたり、
折り鶴よりか世間話が止まらないおばあちゃん、おじいちゃんがいたり
とにかく、その時に強く感じたのが、俺はここに来たことが最大のプレゼントになってるんじゃないかなと…
折り鶴10万羽を集め素敵な折り鶴アートを渡し、
10万人が折ってくれましたと伝え無事プロジェクトを達成することはできました。
ですが…全然素直に喜べない自分がいましたし、ここでこの活動を終わりにしてしまうのは、
すごく申し訳ない気持ちになりました。
なんか好き勝手ボランティアしといて目標達せしたら、
もう終わりなんてすごく勝手な気がして。
東北の方も言ってました!!段々ボランティアも減ってきたって。
でも、これだけが俺の人生じゃないしいったいどうすれば、
いいのかわからなくなりました。
京都へ帰り、目標より多く集まった折り鶴で東北大震災で支援してくれた
202カ国の国旗を折り鶴で作りました。
ムービーです→https://youtu.be/ANba6UMxbUc
3月11日に南三陸へと友達とオカンと行きまして、追悼式に参加しました。
その後、鶴のひと声の活動は、完全停止しました…。
初めて開いたプロジェクトの名は、「東北へ折り鶴10万羽」
初めてつくった団体は、「鶴のひと声」
もし興味が、ある方は【検索】してみてください。
一応フェイスブックページも残してあります。
なかなか、続けることが難しい社会活動。
きっと多くの方が、この壁に当たったと思います。
でも、そんなのは仕方ない。だって人間だもの。
すごくいい経験にもなりましたしこのことが、キッカケで俺は
お互い助け合うって、ホント大事やと思いました。
全然知らない人やし、関係ない地域やし知らん振りなんて、そんな冷たいことは、やめてほしい。
もし自分がその状況になった時、きっと助けを求めるはず。人間は、1人では、生きていけへん。
支え合ってるからずっと生きていけるんやと思う。だから知らない振りは、やめてほしいです。
そんなことを、この活動を通して知れただけでも大きいです。
自分は、このことがきっかけでこれから先、
少しでも社会活動に関わりたいと思いました。
"オカンのひと声"に感謝です。
※現在、実際に熊本で地震起こり助けを求めてる方が、たくさんおられると思います。
できる範囲で元気を与えてあげれるようしていきたいと思います。
ということで、初のプロジェクトでした。
明日は、人力車の話をします。前回の続きです。
「どうでしたか?番外編は?まあいろいろあるんですね。
ブラジルで一人の男性に会い、ここまで繋がりました」
宿命な気がしました。きっとこれから始まる人力車のプロジェクト
これから何が起こり、誰と出会うのか?想像するとワクワク・ドキドキです。
夢が夢で終わらぬように全力で走ります」
よければシェア&コメント&超いいねお願いします。
東京力車 世界一周 人力車 俥夫 鈴木悠司
プロジェクト紹介ムービです。
https://youtu.be/iZXkHznkegk
あと、ごめん!!!宣伝だけさせてください!!
知ってる方もいますが、
「浅草 人力車男子」という写真集が22日から全国で発売になります。
http://www.amazon.co.jp/dp/4777816796
もし興味がある方は、宜しくお願いします。
自分も載っています。どんな俥夫がいるのか?
どんなお仕事なのか?どこが浅草のおすすめなのか?
なかなかネットでは、手に入らない情報が満載です。
よければ、ご贔屓お願いします。
国際交流 ボランティア 大学生 在 夢運び隊リキシャーズ Rickshaws of Journey Facebook 的最佳解答
【クラウドファンディングスタートまで3日です】
あと3日でクラウドファンディングです。少しでも多くの方に
このページの主は、どんな人か?
人力車で世界一周する大ばか者が、どんな人間なのか?w
勝手に語らせていただいてます。
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※話すのは、好きですが…作文は、かなり苦手です。笑
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その前に………
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一昨日は、自分の人力車デビュー1年目の紹介でした。
三日前は、自分の0歳〜22歳までの経歴を紹介しました。
そして今日は、人力車の話もしたいのですが、少し今日も予定を変更します!!!!!
はい!今日は、初めて挑戦したプロジェクトのついて話させていただきます。
☆「自分の経歴Part4番外編 折り鶴10万羽プロジェクト」☆
「さあ。今日も働くか!!!」大学4年の春、自分は、バイトを4つ掛け持ちで
していました。理由は、夏に”ヨーロッパへ一人旅”に行くからです。
本来、大学生なので授業に行かないといけませんが、一度目標ができると
突っ走るタイプなので朝から夜中まで一日バイトしていました。
(そのおかげで現在かなりの体力と忍耐があるのかもしれません。笑)
朝はクロネコヤマト、夕方はうどん屋さん、夜は居酒屋(串焼き)
そしてたまに夜中に別の居酒屋(海鮮)にも行ってました。
とにかく、かなりハードでした。笑
(この働いていた海鮮居酒屋に関しては、面白い話があるので
是非、話したいのですが、長くなるのとダークなので簡単に話すと
給料が出なくてプチ裁判(少額訴訟)を開きましてここで初の裁判を体験しました。)
少し面倒でしたが、これもいい経験やと思っています。笑
とにかく、
お金を貯めつつヨーロッパに行く準備をしていました。
しかし、ここでもまたオカンの”ひと声"で大きくプランが変わります。笑
ある日、
実家(一人暮らしでした)に帰りオカンと話していたら、
オカンが、「ヨーロッパでなんかしながら旅したらいいんちゃう?」っと…
自分は、一度ブラジルでうまくいったせいか、とにかく何でもできると思ってました。笑
ほんと幸せなやつです。2人で考えた結果、ヨーロッパで国際交流として折り鶴を集める旅をしようと
なりました。そこでまたもや、オカンが、スパイスを加えてきました。
「その折り鶴を被災地へと届けたらいいんじゃない?ブラジルでお世話なった人は、宮城の人なんやろ?じゃあその感謝の意味も込めて集めてきたら?」まさに完璧なる提案でした。俺は、一切迷いなしに「やるわ!!!」と言いましたが、
実際に被災地も行ってないし何も知らないのにしていいのかと?少し考えましたが、迷っても答えは出ないので
とりあえず東北に行ってみるわ!!ということで、数日後に夜行バスで東北へ向かいました。
※この時、東北大震災から約2年が、経っていました。
お金もなかったので泊まるところは、
決めずにとにかくネットで調べ被災してる場所へと向かいました。
宮城の女川へ着いたのですが、まさかの夜で宿も何もなかったので
バス停の小屋みたいな場所で、野宿しました。笑
翌朝、被災地をいろいろ周らせていただき、初めて見る姿にすごいショックでお家もなく砂漠みたいな場所があったりしました。
あと、仮設住宅などでたくさんの人が住んでました。しかし、そこに住んでる人は、高齢者の方ばかりで、
これからどうにかして盛り上げないといけないのに、すごい難しい状況に今まで知らなかったことにぶっちゃけ、ものすごく申し訳なくなったし、これは、2年経ったが絶対に”忘れたあかん”と思いました。
少し自分にも迷いが、で始めたのがすでにたくさんの折り鶴が、東北には、ありました。
やはり日本人です、考えることは、みんな同じですね!!!!
大きな問題と迷いを背負い京都へと帰宅しました。
帰ってとにかく東北のことを調べたり、ユーチューブ見たりして
何をすれば、意味があり喜んでいただけるのかな?
ただそのことにひたすら考えヨーロッパに行くことなんてとっくに忘れていました。笑
※すいません。話が長くなりそうなので少し飛ばします。笑
はい。調べたり動いたりオカンと相談した結果!!!!
このことを忘れてほしくない!!!ということで、
“2年経った"今"風化しないためにも一人一羽の折り鶴を10万羽集め届けよう!!
10万人から目を向けていただけるかもしれない!!”
これを目的と目標にし、やるならばヨーロッパだけでなく世界中からということで、
プロジェクト化し”鶴のひと声”というボランティア団体を造りました。
プロジェクトが、スタートし折り鶴を届ける場所もアポを取り見つかり、
クリスマスに東北で広島県の団体が開くイベントに参加することになりました。
地元の何人かに声をかけたり、イベント、SNS、飲食店、母校、とにかくあらゆるところへ
声をかけさせていただきました。
中には、沖縄まで折り鶴を集めに行く友達もいました。笑
自分の歌のライブなどで集めてくれる地元の熱い仲間もいました。
少しづつですが、折り鶴が集まってきましたが!!!!
やはり10万羽はすごい数です。この時、すでに6月です。
ってか12月までに10万人の人間に会うのも難しいの違うかと思いました。笑
なんか考えないとと思い過ごしていた中、たまたま呼んでいただいた草サッカーの試合で
朝日新聞の記者がいました。その人が、朝日の方とは知らずにこのことを話していましたら、
その方が、「うん!!それ面白い記事にしよう!!」ええええ!!はい。ということで、
新聞に載せていただき、一気に活動は、広がりました。
この時に、初めてメディアの凄さを肌で感じました。
とにかく全力で折り鶴を集める日々が過ぎ…いよいよ元々の目的であったヨーロッパの旅です。
ドイツーチェコーオーストリアーフランスーイタリアースペインートルコへと行きました。
とにかく言葉の壁は高かったですが、旅先で会った日本人に通訳していただいたり、
バックパッカーたちが集めてくれたり、ヨーロッパにある日本人学校へ訪問したりし約2ヶ月間
旅をしながら折り鶴を集めました。
一番の思い出は、まさかのドイツ(フランクフルト)でチャリティーイベントがあり、
そこでいきなり、話させていただきました。※人生で初の講演でした。笑
帰ってからまさかの思っていた以上に活動が、広がってて自然に折り鶴が、自分のところに
届くようになっていました。※HPやFacebookに住所載せてました。
一番遠いところで、九州から来たのにはびっくりました。笑
※今は、熊本が地震で大変ですね。少しでも早く熊本が良くなるため些細なことですが、
毎日震災関連の募金活動などあればシェアしていきます。
自分も少し活動をもっと広げれるよう、
ストリート折り鶴(路上でござを引いて折り紙を並べ声をかけ折っていただいてました。)を京都の三条大橋でしていました。
これが、またすごい力がありまして、急におにぎりを大量に持ってきてくれるおばあちゃんがいたり、大量の折り鶴を持ってくる方がいたり、路上でパフォーマンスし人を集めてくれる方がいたり、マジで多くの”愛”をこの活動を通し感じることが、できました。まあ!中には、「所詮!!折り鶴やんそんなんするなら折り紙容姿のお金を募金に周したほうがいいんちゃう?」という声もありましたが、全力で想いを伝えると、一羽の折り鶴を折ってくれました。何を言われても諦めず続けていくことでこの活動意味があるなとその時に感じました。
このストリート折り鶴には、またさらにすごい奇跡を生み出し京都新聞でカラーで載せていただきました。
あまりにも急激に折り鶴が集まりだしたので、もう自分のお家では面倒が見れません。笑
地元の友達が、所有している空き事務所があるので、そこで保管させていただきました。
さあ!!どんどん送られてきます。
まさかの佐川急便の大型トラックに大量に折り鶴が積まれていた時には、マジで焦りました。笑
折り鶴が、たくさん集まったのは、いいんですがここからがまた大変。
折り鶴といえば????そう!!!千羽鶴ですね。でも、届けるのがクリスマスなんでもう少し
プレゼントらしくしたいということで、折り鶴アートというのを考えまして、
とにかくみんなで折り鶴を使いクリスマスツリーの絵を何枚も作りました。
徹夜でしてくれたり、休日なのに来てくれたり、マジでみんなに感謝です。
なんとか準備ができ、
12月23日・24日・25日・26日に東北被災地クリスマスボランティアツアーを開きました。
友達が、マイクロバスをレンタルし京都から約24名でサンタの格好で東北へ向かい
宮城県・福島県・岩手県の仮設住宅やイベント会場へと届けました。
渡す際に泣きながら受け取ってくれる方がいたり、
折り鶴よりか世間話が止まらないおばあちゃん、おじいちゃんがいたり
とにかく、その時に強く感じたのが、俺はここに来たことが最大のプレゼントになってるんじゃないかなと…
折り鶴10万羽を集め素敵な折り鶴アートを渡し、
10万人が折ってくれましたと伝え無事プロジェクトを達成することはできました。
ですが…全然素直に喜べない自分がいましたし、ここでこの活動を終わりにしてしまうのは、
すごく申し訳ない気持ちになりました。
なんか好き勝手ボランティアしといて目標達せしたら、
もう終わりなんてすごく勝手な気がして。
東北の方も言ってました!!段々ボランティアも減ってきたって。
でも、これだけが俺の人生じゃないしいったいどうすれば、
いいのかわからなくなりました。
京都へ帰り、目標より多く集まった折り鶴で東北大震災で支援してくれた
202カ国の国旗を折り鶴で作りました。
ムービーです→https://youtu.be/ANba6UMxbUc
3月11日に南三陸へと友達とオカンと行きまして、追悼式に参加しました。
その後、鶴のひと声の活動は、完全停止しました…。
初めて開いたプロジェクトの名は、「東北へ折り鶴10万羽」
初めてつくった団体は、「鶴のひと声」
もし興味が、ある方は【検索】してみてください。
一応フェイスブックページも残してあります。
なかなか、続けることが難しい社会活動。
きっと多くの方が、この壁に当たったと思います。
でも、そんなのは仕方ない。だって人間だもの。
すごくいい経験にもなりましたしこのことが、キッカケで俺は
お互い助け合うって、ホント大事やと思いました。
全然知らない人やし、関係ない地域やし知らん振りなんて、そんな冷たいことは、やめてほしい。
もし自分がその状況になった時、きっと助けを求めるはず。人間は、1人では、生きていけへん。
支え合ってるからずっと生きていけるんやと思う。だから知らない振りは、やめてほしいです。
そんなことを、この活動を通して知れただけでも大きいです。
自分は、このことがきっかけでこれから先、
少しでも社会活動に関わりたいと思いました。
"オカンのひと声"に感謝です。
※現在、実際に熊本で地震起こり助けを求めてる方が、たくさんおられると思います。
できる範囲で元気を与えてあげれるようしていきたいと思います。
ということで、初のプロジェクトでした。
明日は、人力車の話をします。前回の続きです。
「どうでしたか?番外編は?まあいろいろあるんですね。
ブラジルで一人の男性に会い、ここまで繋がりました」
宿命な気がしました。きっとこれから始まる人力車のプロジェクト
これから何が起こり、誰と出会うのか?想像するとワクワク・ドキドキです。
夢が夢で終わらぬように全力で走ります」
よければシェア&コメント&超いいねお願いします。
東京力車 世界一周 人力車 俥夫 鈴木悠司
プロジェクト紹介ムービです。
https://youtu.be/iZXkHznkegk
あと、ごめん!!!宣伝だけさせてください!!
知ってる方もいますが、
「浅草 人力車男子」という写真集が22日から全国で発売になります。
http://www.amazon.co.jp/dp/4777816796
もし興味がある方は、宜しくお願いします。
自分も載っています。どんな俥夫がいるのか?
どんなお仕事なのか?どこが浅草のおすすめなのか?
なかなかネットでは、手に入らない情報が満載です。
よければ、ご贔屓お願いします。
国際交流 ボランティア 大学生 在 夢運び隊リキシャーズ Rickshaws of Journey Facebook 的精選貼文
【クラウドファンディングスタートまで6日です】
少しこれから、6日間アピールと
カウントダウンさせていただきます😁
「すいませんお邪魔します。」
人力車で世界一周する大ばか者が、どんな人間なのか?w
語りたいと思います。
語彙脱字が、あればすいません。
※話すのは、好きですが…作文は、かなり苦手です。
☆今日のテーマは、「自分の経歴Part1」
まあ!!興味があれば、暇つぶしでも構わないので見てください。
自分は、1990.05.07京都で生まれました。窪塚洋介さんと同じです。
名前は、鈴木悠司です。ガッツ石松さんと同じです。
幼い頃は、よく女の子に間違えらました。
素敵な家族に恵まれ困ることなくすくすく伸び伸び育ちました。
ユーモアなオカンに恵まれて、とにかくいろんなところへ行きました。
京都で有名な大人の街”祇園”へは、なんと1歳からデビューしています。”笑”
今、思うとホント羨ましい。そのおかげで、入れるお店があるので感謝です。
※一見さんお断りで有名な場所です。笑
オカンとは、海、山、川、大人の街、細くいうと、スナック、居酒屋、カラオケ、ボーリングとにかく
飽きることなくず〜っと保育園、小学生の頃から、遊んでたイメージです。
そのせいか、今では多くの方と繋りがあり改めてその時の経験が、今になり生きています。
早くから、お酒の場にいたので、好きな食べ物は、焼き鳥、たこわさび、イカの塩辛、お刺身、です。笑
遊びすぎたせいか、勉強は、かなり苦手です。椅子にじっと座ることができないです。
得意な科目は、ありません。唯一マラソンだけが、得意でした。w
小学校の成績は、本当にやばくて…頭の形が、悪いせいやと真剣に想ってました。(頭の形が、絶壁なんです。)
勉強は、少し開きなおってもいました。w
すぐ影響されるので、ヤンキー漫画や、クレヨンしんちゃんなどを見ると勇気が出ました。w
自分の人生においての初めてのターニングポイントは、8歳の頃です。
初めて、オカンにJリーグ(プロサッカー)の試合に連れて行ってもらいしました。
今でも、忘れません…。感動して涙が、出るとは、このことでしょうか!!!
マジで泣きそうなくらい感動しました。京都サンガに(当時は、京都パープルサンガ)三浦知良選手(キングカズ)が、
いた頃でサンガの逆転勝利の試合でした。(京都パープルサンガ 3-1 ヴィッセル神戸 (三浦知良2得点、藤吉信次))
その時に、オカンに「俺、プロサッカー選手になるわ!!」と言いましてグッズ売り場で購入した紫のミサンガに夢を念入れ結んだことを今でもはっきり覚えています。
今想うと、あの時に、オカンにJリーグに連れて行ってもらってなければ、どんな人間になっていたか心配です。笑
それからというもの、一気に生活が、サッカーの一筋でした。J−マルカというクラブチームに入りました。
サッカーチームも自分で探し見つけて、初めて親なしで、自分一人で行動しました。
それくらいサッカーしたかったんやと思います。
「入団の時、おもろかったな〜。入団する際に、学年を間違えてはじめ1個上の学年で練習していたのを覚えています。笑
その上、サンダルで練習に行きまして気合でボールを蹴っていました。w」
ここで出会った、仲間や指導者には、ホント感謝してます。
とにかく夢中になり学校へ行く時も、どっかのユニホーム着たり、休み時間は、サッカーしたり、暇あれば家のガレージ前でボールを蹴っていました。※きっとサッカーしてた人は、同じやと思います。笑
一度オカンの車のサイドミラーにボールが、あたり取れてしまったことを覚えています。
ここで、人生で初めての土下座をしました。笑
中学になり、少しですが反抗期という時期でしょうか、
あんまり一緒にいるのが、嫌になりました。あ!オカンと!
頭も悪いし、悪いことも嫌いじゃなかったけどサッカーをしていたせいか、
そこまでグレることもなく警察などにお世話になることもありませんでした。
中学では、最高成績が26です。オール3を目標にしましたが、マジで無理でした。
サッカーのクラブチームに成績を提出するんですが、
何度か友達の成績表を名前だけすり変えコピーし提出した覚えがあります。笑
もし、この文章をコーチが見ていたら「あの時は、すいませんでした。」笑
高校には、サッカーをしていたおかげで、"物凄い野球が強い高校"へと学費免除で入れました。笑
「野球かい!!!!」※平安高校です、(現在、龍谷大学平安高校)
サッカーも弱くは、なかったので真剣に全国を目指して頑張りました。
残念ながら、全国へは、行けず最高成績もベスト4で終わりました。
そこまでカッコイイこと言えるほどうまくなかったですが、
今でも、全国へ出れなったことは、悔やみますし夢にも出ます。
かなりの練習量が、多いのと筋トレや走りが多いチームでしたので、
今、人力車をしていて物凄いそれが、生きています。
あの時のエグいフィジカル練習は、ここに繋がるのかと少し感じています。笑
部活の仲間が、走りすぎて「流れ星が、見える」って言うたのは、今でも忘れていません。笑
あと…この時期に
高校卒業と同時に初めて人の死というのが、どんなものか 感じました。
今でもホント後悔してて高校卒業式後に部活の卒団式があり、そのあと
友達何人かで、なぜか心霊スポットへ行きました。
その時は、何も起こらなかったんですが、自分自身は、すごく嫌な雰囲気を感じました。
朝、お家に帰宅し布団に入った直後に警察から電話が来ました。
内容は、おじいちゃんが、交通事故で今朝亡くなったのこと…。
その時に、なんて言えばいいかわからなくなりとにかく頭の中で、泣かずに"無"を感じてました。
当時、mixiが今のフェイスブックみたいに流行していてmixiニュースに自分のおじいちゃんが、
トップニュースで上がってた時は、さすがじいちゃんと!!感じました。
「サッパリや」が、口癖のギャンブル好きの楽観的な長距離トラッカーでした。
この時に、心霊スポットは、行かないほうがいいと思いました。
大学に入り、居酒屋のバイトも始め大好きなサッカーもまだプロを諦めずにしていましたが…
ここで、人生で初めての挫折を味わいます。
やはり大人になると少しづつ分かってくるんですね、
自分がプロになれる選手かなれない選手か…
でも、諦めきれない自分が、いました。足が二回折れても続けました。
今でもボルトが両足に入ってます。勝手に"ボルト鈴木というサイン"を作りました。
一番したいことが全然うまくいかず、大学では、居場所がない気がしました。
でも!!!諦めるのは、嫌いなんで応援団長したり人生で初めての坊主にしたりどこかしら楽しみを見つけ
日々を送っていました。大学生活も終盤にきて、このままじゃあかんということで、
心に決め”オカン"に聞きました。「俺…どうしようか?」するといきなしオカンがぽろっと
「"ブラジル"でも行ってきたら?」っと…俺は、まさかの発言にビックリしましたが、それと同時に
なぜかワクワクしました。昔から三浦知良選手やキャプテン翼に影響され
小学生の頃、ブラジルには、行きたいって言ってましたが、まさかのこのタイミング!!!
いや…むしろこのタイミングやと感じました。オカンは、送り出す際に「原点に戻ってこい!!」と言い
俺は、部活を夏休みの期間だけ休部しスパイクとポルトガル語の本を持ち30万を握りしめて
宛てもなくブラジルへと突っ込んで行きました。今思うとあの時の自分は、マジでチャレンジャーです。
むしろ何も知らなかったからできた行動やと思います。
ここでの話は、半端なく長くなるので少し飛ばしますが、
結果としてアメリカの空港で(トランジェト)ある日本人の方と出会いまして
ブラジルまで一緒に行くことになり、サッカーチームも紹介していただき
ブラガンチーノという2部のチームのユースへと1ヶ月間参加することができました。
寮に入り、ブラジル人と暮らし、まさかのネイマール(ブラジル代表)とも面会させていただくことにもなり
今思うとマジで意味がわかりませんが…笑
すごい良い経験が、できたのと純粋に久々にサッカーを楽しむことができました。
もし自分が、"アナザースカイ”に出れるなら間違い無くブラジルと言うでしょう。笑
これが、自分の初めての一人旅でした。
さすがに短期間の留学では、レベルは上がりませんでしたが、自分の中で決心がつきました。
「もうサッカーは、これで終わり。」ここで、初めて進んできた道にピリオドを打ちました。
同時に新たにしたいことが、見つかりました。それは、バックパッカー(旅人)です。
この時、すでに大学4年でした。ほぼ周りは、就活の時期でした。
さすがにこのタイミングで?って思われるかもしれませんが、
やりたいと思った時が、ベストなんです。その考えからか、一切就活をしなかったです。
まっすぐに旅人の道へと進んで行くはずでしたが、ここに来て新たなる経験をすることになります。
自分は、ヨーロッパに行こうと決め、
バイトを4つ掛け持ちし、急いでお金を貯めていました。
ある日、オカンと話しててオカンが、「ヨーロッパでなんかしながら旅したらいいんちゃう?」っと…
自分は、一度ブラジルでうまくいったせいか、とにかく何でもできると思ってました。笑
ほんと幸せなやつです。2人で考えた結果、ヨーロッパで国際交流として折り鶴を集める旅をしようと
なりました。そこでまたもや、オカンが、スパイスを加えてきました。「その折り鶴を被災地へと届けたらいいんじゃない?」
という話になってきまして…………はい。知ってる方もいると思いますが、
これが、きっかけで4年前に”鶴のひと声"という団体を立ちあげて”折り鶴10万羽プロジェクト”が、始まりました。
この話は、きっとフェイスブックのタイムラインを相当ハイジャックしてしますので、シンプルに行きます。笑
人生で初めての社会活動??そうですね。ひょんなことから、被災地へ訪問し初めて考えさせられた日本の現状。
今までニュースで見てた景色とは、全然違いました。こんなにも、同じ日本にいて違うのかよ!!っと感じで
居ても立っても居られない自分は、とにかくこのプロジェクトに全力を注ぎました。
何ならヨーロッパに行くことよりも、どうすれば折り鶴が集まるのか考えていました。
路上や、つながり、SNS、イベント、メディアなどで結果的に半端ない数になりました。
もちろんヨーロッパでも旅人や日本人学校、外国の方から集めました。
計15万羽近く集まり、東北へとクリスマスに届けました。
プロジェクトが、終わった際にすごく達成感もありましたが、同時にものすごくむなしくもなりました。
結局その時が、盛り上がっても被災地の状況は、変わらないし所詮折り鶴なんやと感じましたし
社会活動って、ボランティアって難しいなと学びました。
その時に協力してくれた方々には、すごく感謝してますし、今でも大事にしていきたいです。
※https://youtu.be/ga5woL7FUCU ※東北へ届けに行った際の動画です。
こうしてあっという間に自分の大学生活は、終わりました。
はい!!もちろん卒業は出来ました。これもまたびっくりな話で、
確実に卒業は、厳しいと感じてました。可能性が、4年後期でフル単位を取らないと
卒業できなかったからです。でも、なんとかして留年だけは、
避けたいのと親に悪いとすごく感じまして先生全員に自分が、作成したアピールDVDと手紙を渡し
卒業の発表日まで信じて待ちました。卒業ができることを知りマジで嬉しかったです。
この時、22歳です。
さあ!!いよいよ東京へ出てきます。この話は、また来年!!あああ!ッ!明日にします。
ここまで読んでくださりありがとうございます。あまり長すぎると疲れますね。
フェイスブックのタイムラインを多く使いすいません。
明日は、この続きをUPしたいと思います。「自分の経歴Part2」
やはり忘れないですね!!英語の単語は、すぐ忘れるのに。笑
自分を見つめ直すいい機会です。
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プロジェクト紹介ムービです。
https://youtu.be/iZXkHznkegk
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