歷史課本內刪掉的眉角
提到大清福建臺灣巡撫一等男爵劉銘傳,就不能不說直轄台北市政府有個房間叫做劉銘傳廳。這個房間是號稱沉浸中華五千年文化的馬英九前總統在台北市長任內親自命名的。講真的,馬前總統的中華文化基本教材不知道是誰敎的,在中華傳統文化體制中,連名帶姓叫一個人,是極端失禮的行為,連皇帝都不會這樣叫重臣,一般而言,稱呼人家的"字"(子牙,孔明,仲達等)已經算是平起平坐了,仰慕一個人的話應該用敬稱,司馬溫公,左忠毅公。中國人馬英九竟然這樣尊(ㄗㄠ )崇(ㄊㄚˋ)中華文化,真是讓我這個台灣人嚇到吃手手。
不過,這邊不是要討論五千年博大精深的中華文化,而是,劉銘傳跟直轄市台北,到底有什麼關係。
雖說劉銘傳在巡撫任內,辦公室設在臺北府淡水縣(大約是今天雙北+東桃園,但不含山地鄉),感覺上似乎跟直轄市台北關係匪淺,但台北市早在1967年就脫離台灣省,獨立為直轄市,米國人會紀念開創英格蘭王國的征服王威廉一世(William I, the Conqueror)嗎。
況且,劉大人一心想把省會從臺北府淡水縣搬到臺灣府臺灣縣(今日不含山地鄉的台中市及南投縣南投市一帶)。雖然說把福建臺灣省的省會設在臺灣縣是朝廷的一貫的基本政策,但劉銘傳確實很認真在當脫北者,比對後任巡撫邵友濂放棄新省府計畫,全力發展臺北府,對台北市來說,騎驢找馬的劉銘傳難道比海枯石爛的邵友濂更值得留念?
在清法越南戰爭(西仔反,1883年12月-1885年7月)中,劉銘傳所謂擊退法軍保衛北台的戰功,其實仔細來看,並沒有像中華民國史書上說的那樣用兵如神,克敵制勝。1884年10月,法軍攻佔基隆後,戰神劉銘傳第一個反應是收拾金銀財寶準備往竹塹城方向轉(ㄖㄠˋ)進(ㄆㄠˇ),走到艋舺時,被民眾從轎子中拉出來毆打,並痛罵劉銘傳是懦夫,然後監禁在龍山寺內,直到淡水縣士紳們確認劉大人願意領導作戰後才被放出。所以有段時間,大清朝的作戰指揮命令,蓋的關防大印不是福建巡撫而是龍山寺。至於劉銘傳為什麼要去竹塹(新竹市)呢,我以為,竹塹城是北台灣防禦工事最完整的中式城池,撫台大人想要恃城堅守,其實也算合理。可是,戰神劉銘傳似乎沒有想過一點,打從鴉片戰爭以來,所有固若金湯堅如磐石的中式城池,在西洋新式炮兵的眼中,不過是一道竹籬笆,劉大人真要倚竹塹城以拒法蘭西,恐怕被西方列強俘虜的大清朝方面大員又要增添一位。台北市政府紀念意圖棄守臺北的臺北防禦總指揮官,邏輯上不會有問題嗎?還有,基隆港區在被攻陷後,法軍之所以沒有沿著基隆河長驅直入,是因為阿罩霧(霧峰)林家的林朝棟率領的本土民兵(台勇)在暖暖一帶阻截法軍。
直轄市台北,無論建置或取名,也是都看不到劉銘傳的身影。
臺北這個地名,最早應該是閩浙總督沈葆楨在1876年1月(光緒元年十二月)奏請在臺灣府的北部設立臺北府,臺北這個名字最有可能就是沈葆楨或他的幕僚想出來的。在此之前都是自然發展的市街,如艋舺,大稻埕,大龍峒,貓里錫口(松山),士林等。臺北府第一個是首長是臺灣府知府署理的向熹,首任正式知府是林達泉,他也是將臺北城設在今日"城中"位置的人,臺北城建城開工者是知府陳星聚,臺北城格局最終規劃者是風水大師臺灣兵備道劉璈。至於臺北市則是日本時代1920年(大正九年)10月1日成立,首任市尹是武藤針五郎(Shingoro Mutou,所以今年是台北市成立百周年祭,但我想兼任市長的台民黨元首柯丕(Führer KP),對這件事應該沒什麼感覺吧。)
上述的沈葆楨,向熹,林達泉,陳星聚,劉璈,武藤針五郎等,對直轄台北市的意義都讓劉銘傳看不到車尾燈吧,那為什麼北市府除了沈葆楨還被恩賞了一個房間外,其他幾個開創臺北的首長對北市府來說就像路人甲乙丙丁戊。
中國史學界很愛強調劉銘傳治台時的"自強新政",包含第二條鐵道(第一條是福建巡撫丁日昌在基隆港建設的運煤鐵路)等,這些跟臺北確實是有點關係。但,劉銘傳的"建設",在接任的邵友濂任內,大部分都被廢除,新省府計畫中止,鐵道延伸台南也叫停,也廢撤西學堂及番學堂。邵友濂並不是劉銘傳的政敵,相反的,劉邵兩人都是屬於淮軍系統,也就是中堂大人李鴻章伯爵的人馬,邵前一個職務是布政使,是劉大人的屬下。可見,即使在當時,連劉的"自己人"都看不下去所謂的"中國最進步的一個省"。主要原因當然劉銘傳跟強國官員一樣喜歡面子工程,以致接任的人很難接手,而推動新政的燒錢問題,也讓課金玩北洋艦娘的李鴻章抓狂。
劉銘傳的"現代化"建設怎麼燒錢呢,光從基隆到新竹的鐵道就耗費129.6萬兩銀。建省前後,臺灣屬於省政府的稅收,依法行事的跟於法無據的(釐金等)也不過接近百萬兩銀,加上劉銘傳兼管的海關關稅,配合其他各省的支援,加起來還不到150萬兩銀,等於建設鐵道就吃掉福建台灣省一年的百姓血汗錢還不夠。還不只這個,劉銘傳當初在奏請朝廷請修鐵道時,報價是一百萬兩銀,嗯,超支30啪好像還好,公共工程那個沒有事後追加經費?最好是這樣,劉大人說的是基隆港到彰化縣城間二百多公里花費百萬兩銀啦,結果僅蓋了一半不到就把預算花完了,這種會計頭腦真是讓人欽佩得五體投地,最講究財政紀律的元首柯丕一定會想把他掐死。
有趣的是,劉銘傳卸任後四年,大日本帝國的臺灣總督就來履任了,當時東京當局看到一個沒有教育制度,沒有公共衛生,基礎建設趨近於零的"現代化模範省"時,很多人說,這種地方怎麼統治啊,感乾脆賣掉算了。就像後人傳誦的劉銘傳鐵路,被日本人砍掉重練一樣,劉銘傳的自強新政,在重視品質的日本人眼中,就是Made in China的淘寶天猫。
身為軍人的爵帥劉銘傳大人,雖然看到西洋夷狄就學會跑馬拉松,對於台灣番人卻是身先士卒奮勇殺敵,剿完前山剿後山,征完平地征山地。劉大人另一項本領,雖然說是大清朝從政的基本技能,但劉銘傳絕對是神等級的,就是搞鬥爭。
釐清銘傳鬥爭傳前,先要提一下當時的派系。打從太平天國戰爭開始,大清朝官場就誕生三個有點類似政黨的政治團體。以曾國藩侯爵及左宗棠侯爵為領袖,湖南人為主的湘軍,奉李鴻章當老大,成員大多是安徽及江三角人的淮軍。朝廷中另外有一批不像湘軍淮軍靠戰績起家,全是考試及第當官的清流黨,清流黨人幾乎沒有人擔任過實際的行政官,大多數都在只要出一張嘴就有皇糧可以吃的耍廢官署,翰林院跟都察院等(嗯,怎麼好像我國的小黨呢)。湘軍跟淮軍,基本立場並沒有太大差異,都是主張學習西洋船堅炮利,所以鬥來鬥去爭的不過是官位跟銀兩,把政敵割喉實在不多。而且更多時候,湘淮兩系人馬是聯合起來鬥清流黨跟守舊派,像福建台灣省建置,就是湘系的閩浙總督楊昌濬跟淮系福建巡撫劉銘傳在地方上全力配合的成果。
但,清法戰爭的無敵戰神劉銘傳,戰後卻火力全開,清算在滬尾(淡水)戰役中奮戰卻敵的擢勇巴圖魯福建陸路提督孫開華,及守備南台灣讓法軍不敢覬覦府城的台灣兵備道劉璈,兩位抗法有功的湘軍大將。孫開華因為劉銘傳的彈劾,黯然離開已經駐防了快十年的台灣,回到福建,後來又在閩南因傷卒於任內。孫開華還只是被趕跑,劉銘傳對劉璈卻是羅織罪名,誣陷劉璈涉及不法貪瀆18款,致使劉璈先是被革職查抄,後又被處以斬監候(斬首刑但暫緩執行),改流放黑龍江,最後在流放中病歿,當時朝野都有人為劉璈喊冤。劉銘傳指控劉璈貪贓枉法,劉璈在定罪斬候監後,照例是可以拿出家產來贖罪,可是劉璈卻連保命錢都拿不出,是他擔任過知府的浙江省台州仕紳募捐才躲過一死,可證劉銘傳才是真正的玩弄法律,構陷忠良。劉璈精通堪輿地理,台北府城最初的設計是直對北斗七星,劉璈認為這樣城池,沒有靠山,「一路空虛,相書屬五兇。」於是劉璈更改城基方向, 將整座城廓向東旋轉13度,使北城牆後方有七星山可做為倚靠,城座方向變為向東北、西南傾斜。但是,府城內的街道官衙已經蓋好了,無法更動,所以台北府城是最奇特的中式城池,有規劃筆直的街道,但街道又跟城牆沒有平行垂直。
如果風水真的有道理,那臺北建城一百多年來,始終是臺灣的政經中心,奠定臺北風水格局的劉璈,臺北市政府不但把他忘記,而且還紀念陷害他的兇手,劉道台地下有知,不知道會不會感慨臺北人都是智商157。
寫到這裡,突然有個感想。中國國民黨為什麼這麼愛劉銘傳,除了兩者都是中國人(廢話)外,KMT的文武百官還跟劉銘傳大人有87啪相像。
首先,從蔣太祖皇帝在台復行視事開始,中華民國分明就是靠臺灣島才得以在中國人民解放軍的追殺中留下小命,也是靠臺灣兵在金馬前線浴血才能保衛中華民國,就像劉銘傳在清法戰爭中的表現,但事後卻唬爛說自己是臺灣的救世主,而且還不會歹勢。
其次,在獅子面前裝綿羊,在綿羊面前充獅子的本領更是世界一流,尤其是,屠殺台灣人方面。
其他還有,都愛規劃不善勞民傷財的面子工程,劉撫台蓋了一條砍掉重練比較快的劉銘傳鐵路,蔣二世皇帝則是聽到北京蓋地下捷運後,略過專業工程意見,直接指導台鐵臺北段地下化。內鬥內行,外戰外行也是傑出的一手。
也難怪馬英九前總統那麼愛劉銘傳了,他們根本是前世今生啊。
***************
重點言語:
1.劉銘傳跟直轄台北市是田無溝水無流。
2.總結劉銘傳在清法戰爭的表現,讓人不禁讚歎,真•戦神転生。
3.內鬥內行,外戰外行。
4.嘴巴上最愛說依法行政的人,身體往往最愛玩弄法律。
5.如果由富國強兵模範生的大日本帝國來打分數,劉銘傳的"自強新政",分數趨近於零。
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策展訊息 :
台北駐日經濟文化代表處台灣文化中心 歲月之旅–張照堂攝影展
歳月の旅–張 照堂写真展 ( 2015 / 9 / 1 – 10 / 30 )
レセプション : 2015 / 9 / 1 (火) 14 : 00 – 15 : 00
特別講演会 : 2015 / 9 / 1 (火) 15 : 00 – 16 : 30
司会 : 菅沼比呂志(ガーディアン・ガーデン/プランニング・ディレクター)
講師 : 瀬戸正人(写真家), 張照堂(写真家 / 台南芸術大学名誉教授), 沈昭良(本展キュレーター / 写真家)
開館時間: 10:00-17:00(土、日曜 & 祝日休館)
会場 : 台北駐日経済文化代表処 台湾文化センター
〒105-0001 東京都港区虎ノ門1-1-12 虎ノ門ビル2階
http://jp.taiwan.culture.tw/content_32.html
2013年9月,台北市立美術館為張照堂舉辦了名為「歲月照堂」的大型回顧展,展覽整體採編年式架構,分別為「少年心影」(1959-1961)、「存在告白」(1962-1965)、「裝置 / 塗鴉 / 原作」(1966-1986)、「社會記憶 / 內心風景」(1970-2005)、「數位發聲」(2005-2013)與「歲月容顏」(2005-2013)等六個主題,內容除了放大與輸出的攝影作品400餘件,也包括8部紀錄影片、裝置、拼貼、攝影原作、編輯刊物、繪本、手稿、歷年展出文宣等等,橫跨張照堂過去所涉略的電影、紀錄片、攝影、現代藝術、文學、劇場、出版等領域。
展出期間,除了吸引成千上百各個世代,不同領域的觀眾留連駐足,更引發相關的學術著述與研究討論,展出規模之全面,影響之深遠,可說是國內攝影藝術圈有史以來所僅見。不僅完整呈現張照堂的影像風格與美學品味,更確立其在台灣攝影與跨領域影像發展脈絡上,承先啟後的卓越成就與崇高地位。日本著述家暨愛知三年展總策展人港千尋,即曾在現代美術學報中坦言:「張照堂不只是一位傑出的攝影家,更是每個國家只可能僅會出現一兩位的那種藝術家。」
張照堂,1943年出生於台北縣板橋鎮(現新北市板橋區),父親為執業醫生,兄弟姊妹共七人排行第五,初中三年級時,向大哥借了一台Aires Automat 120相機把玩,卻也因此開啟了他不凡的影像人生。成功高中時期,參加攝影社團受教於鄭桑溪,其後雖進入台灣大學土木工程系就讀,反倒積極參與藝文活動,廣泛閱讀現代、存在主義文學,並開始觀念性的攝影創作。
大學畢業後分發至離島澎湖服役,退伍後的1965年與鄭桑溪共同發表「現代攝影雙人展」,迥異於當時唯美沙龍與社會寫實的現代視覺語言,自然招來當時傳統攝影圈頹廢消極的惡評,但卻也引起美術與文學界的鼓舞與關注。1968年張照堂進入電視台,從事新聞採訪、專題製作與紀錄片拍攝。1974年也曾瀟灑舉辦了「攝影告別展」。其後二十餘年,他全面性參與紀錄片與電影劇情片的拍攝製作,1997年就任國立台南藝術學院(現國立台南藝術大學)音像紀錄研究所教授,傳道授業,提攜後進不遺餘力。1998年籌劃首屆台灣國際紀錄片雙年展。生涯迄今獲頒有金鐘獎、金馬獎、國家文藝獎及象徵最高榮譽的行政院文化獎等重要獎項。
出生及成長在台灣的張照堂,歷經日本殖民、國府統治、黨外運動、解除戒嚴及總統直選等時期,自初中三年級的接觸相機以來,作品從不為針對特定議題的計畫性拍攝,反而幾乎都是工作之餘的隨性抓取,卻也因此定調了獨特的攝影風格,同時據已清晰回應伴隨他的歲月和時代。誠如評論家郭力昕所言:「張照堂成長於一個極度壓抑、苦悶的年代,並且在這樣的時代氛圍裡,走過了他創作的精華歲月。臺灣的這個時代背景,政治空氣是高壓、肅殺的,攝影文化是空白或貧乏的,張照堂的攝影藝術,就在這樣的政治與文化悶局裡,迸出了一個獨醒的、清越的高音。」
張照堂的作品,除了初中時期作品所展露的直觀純粹,大學時期則因喜愛接觸現代文學與藝術,面對當時台灣社會的政治高壓與思想箝制,攝影頓時也成為他抒發內心寂寥與撫慰外在荒蕪的材料,此時期那些塗抹的白臉、頭套塑膠袋和無頭身影的作品,在日後更被視為台灣現代攝影語法轉向的重要實踐。退伍後,進入媒體工作的張照堂,持續透過觀景窗,緊貼著台灣社會的氛圍與脈動,在城市、巷弄、荒郊和鄉野間,大量超現實語境與荒謬劇場式的作品,引人緘默也發人省思。其後,順應數位時代的來臨,張照堂援用了科技的便捷,將其轉化為攝影表現的另類可能,先前曾在「歲月照堂」回顧展中,陳列展示的拼組作品<夢遊-遠行之前>與<台灣-核災之後>兩系列實驗性組作,則是2005年進入數位時代後持續進行的創作類型。
綜合過去對於張照堂作品相關論述與研究的歸納,普遍將其創作風格,定調為抵抗當時台灣所處高壓統治與社會處境的精神性衍生,透過其所獨具的攝影眼,心理的,身體的,尋常的,淡然的,直覺的,進一步提出對於現狀的某種超脫與預知。然而,對照張照堂初中時期所拍攝的「少年心影」系列作品,其中所大量穩定展現,有別於那個年齡世代應有的尋找與凝視,很顯然的,他的成就,應不只是時代的重壓與凝鍊所積累而成,有相當確定的一部分,是那一股自幼在他身體血液裏,早已循環流淌的豐富素質與內斂情感。
此次受邀在台灣文化中心展出的23件作品,主要是挑選張照堂在1970-1990年間所拍攝,聚焦在社會記憶與內心風景,同時也回應本展”歲月”與”行旅”意象的精要式集結,除了作品本身的時間跨度,足跡也行旅式的遍及基隆、台北、桃園、苗栗、新竹、嘉義、屏東、宜蘭、花蓮和澎湖等地。其中,望安島上的少女容顏,阿里山上的日出遠眺,鼻頭角港邊的餘暉小憩,算命看板前的晃動身影,水岸邊的駐足凝望,車廂理的沉睡舒醒…。時而匆忙,時而停歇,時而展望,時而掩面,時而奮起,時而喘息。讓我們在人物近景與環境身影的視覺導引下,橫向與縱向的氛圍轉折中,重返那個蒼茫年代,重新經歷那個靜謐時空,領略張照堂在漫長的歲月行旅中,不斷遺落卻又不斷拾起的無盡視野與動人話語。 文 / 沈昭良
2013年9月、台北市立美術館で、張照堂(ジャン・ジャオタン)の大型回顧展「歳月/照堂」が行われた。展覧会は年代別の構成を取り、「少年の心」(1959-1961)、「存在の告白」(1962-1965)、「インスタレーション / グラフィティ / オリジナルプリント」(1966-1986)、「社会の記憶 / 心象風景」(1970-2005)、「デジタルでの発信」(2005-2013)、および「歳月の表情」(2005-2013)という六つのテーマに沿って、大きく引き延ばされた400点余の写真作品のほか、8本のドキュメンタリー映像作品、インスタレーション、コラージュ、オリジナルプリント、編集に関わった印刷物や絵本、手書き原稿、過去の展覧会のチラシやポスターなどが展示され、これまでに張照堂が関わって来た、映画、ドキュメンタリー映画、写真、現代美術、文学、舞台、出版など様々な領域を横断する展覧会となった。
会期中は、おびただしい数のあらゆる世代の観客だけでなく、様々な領域で活動する数多くの観客が足を運び、ここから学術論文や研究討論が生まれた。展示規模は全面的であり、展覧会が社会に与えた影響は計り知れず、台湾の写真芸術史上においても稀な事件であったと言ってよい。展示は、張照堂の写真スタイルやその美学を完全な形で伝えていたのみならず、台湾の写真や領域横断的な映像の歩みにおいて、張が先人の成し遂げたものをさらに刷新していく卓越した存在であることを強く印象づけた。日本の写真家で愛知トリエンナーレ2016の芸術監督を務める港千尋は、(台北市立美術館発行の学術誌)現代美術学報において、「張照堂は、傑出した写真家というだけでなく、いずれの国にも、ひとりかふたり出て来るか、というような芸術家である。」と述べている。
張照堂は、1943年に台北県板橋鎮(現在の新北市板橋区)に、医者である父のもとに、七人兄弟の五番目として生まれた。中学三年生の時、兄にアイレス・オートマット120というカメラを借りて遊び始めたことが、彼を、後の非凡な映像人としての人生へと導くことになった。成功高校に通っていた頃には、写真サークルに参加して鄭桑溪(ジェン・サンシー)に師事し、その後台湾大学土木工程学部に入学したものの、専門の勉強よりも芸術文化活動にいそしみ、近代文学や存在主義文学を読みあさり、コンセプチュアルな写真制作を行い始めている。
大学を卒業した張照堂は兵役に就き、離島の澎湖に配属された。退役後の1965年には鄭桑溪とともに「現代写真雙人展」を行い、当時の唯美的サロン写真や社会リアリズム的な近代視覚言語とはまったく異なる作品を発表した。当然のことながら、当時の伝統的な写真界においてはデカダンで消極的だという悪評を招いたが、美術界や文学界からは激励され、注目を集めることとなった。1968年に張はテレビ局に入社、ニュース取材のほか、特別番組やドキュメンタリー映画の撮影に従事した。また、1974年にも、曾瀟灑(ゼン・シャオリー)と「撮影(写真)告別展」を行っている。二十数年ほど、精力的にドキュメンタリー映画やドラマ映画の撮影に関わった張は、1997年には国立台南芸術学院(現・国立台南芸術大学)の音楽映像ドキュメンタリー研究所の教授となり、後続の育成に力を注いだ。1998年には、第1回台湾国際ドキュメンタリービエンナーレの準備に関わっている。これまでに、金鐘賞、金馬賞、国家文芸賞および台湾にて最高栄誉とされる行政院文化賞などの重要な賞を受賞している。
台湾で生まれ育った張照堂は、日本の植民地支配、国民党による統治、党外運動(訳注:民進党誕生以前の台湾における民主化運動)、戒厳令解除や、総統直接選挙などの時代を生き抜いてきた。初めてカメラに触った中学校3年生の頃から、作品は特定のテーマに沿って計画的に撮影されてきたわけではないが、むしろ仕事のあいまをぬって気ままに撮り続けてきたことが却って、独特の写真スタイルをそこに定着させ、ともに歩んだ歳月と時代とを、はっきり映し出すようになった。これについて、評論家郭力昕(グォ・リーシー)は次のように述べている。「張照堂は極度に抑圧された苦悶の時代に生まれ育ち、そのような時代の雰囲気の中で最も優れた作品を生み出した。この時代の台湾の政治的空気は高圧的・粛殺的であり、写真文化は空白でないとしても非常に貧しいものであった。張照堂の写真芸術はそんな政治・文化的に鬱々とした状況にあって、孤高の澄み切った高音を響かせたのである。」
張照堂の作品は、中学校時代には直感的な純粋さをみせていたが、大学時代には、彼の近代文学や芸術への傾倒のために、当時の台湾社会の高圧的な政治や思想統制へと向き合い、内面の寂寥を表現し、荒寥とした外界への慰めとなった。この時期発表された白塗りの顔や、頭に被ったビニール袋、頭のない身体を写した作品などは、その後ますます、台湾近代写真の語法を転換させる重要な実践であったと見なされるようになった。兵役からの退役後マスコミでの仕事を始めた張照堂は、それ以降もファインダーをとおして、台湾社会の雰囲気や脈動に切迫する大量のシュルレアリスティックで不条理劇的な作品を、都市や路地、荒れた郊外や農村で撮影し続け、観る者を沈黙に導き、内省を促した。その後張はデジタル時代の到来に順応し、そのハイテクの利便性を用いて、写真表現の新しい可能性を追い求めた。先の「歳月照堂」回顧展で展示された《夢遊—遠行の前》と《台湾—原発事故後》のふたつの実験作品シリーズは、2005年にデジタルカメラを用い始めて以降、張がずっと取り組んでいるものである。
これまでの張照堂の作品についての論文や研究には、その作品スタイルを、当時の台湾の高圧的な統治や社会状況に身を置くことで生まれる精神性との関連について語るものが多い。独自の撮影眼をとおした、心理的で身体的、さらりとして飄々とした直感的な表現だと捉え、さらには現状に対するある種の超越を提言する予言だとする。しかしながら、張照堂が中学校時代に撮った「少年の心」シリーズの、大量で安定した表現と比べてみると、このくらいの年の少年が当たり前に持っている探究心や対象の凝視とは、明らかに異なっていることがわかる。彼が成し遂げたことは、時代の重圧と精錬の蓄積のみによるものとは言えないだろう。そこには幼少時より彼の身体の血の中に循環していた写真家としての豊かな素質と、含蓄に富む情感が、必ず影響していたはずだと思うのだ。
今回台湾文化センターで展示する23点の作品は、張照堂が1970年から1990年のあいだに撮影したものを中心に選び、社会の記憶と心象風景に焦点を当てた。これらは同時に、先に述べた展覧会の「歲月」と「旅」の意象から精選したものでもあり、作品がくぐり抜けて来た長い時間だけでなく、作家が基隆や台北、桃園、苗栗、新竹、嘉義、屏東、宜蘭、花蓮や澎湖などの各地を旅した足跡を辿るものともなっている。望安島の少女の表情や、遠くに臨む阿里山の日の出,鼻頭角港の傍で夕焼けを眺めながらのひとやすみ、占いの看板の前で揺れ動く人影、水辺で足をとめて遠くを見つめる人、電車の中で眠ったり気持ちよく目覚めたりする人々…。時にあわただしく、時にゆったりと、時に遠くを眺め、時に顔を隠し、時に奮起し、時に息を荒くする。我々は、近景の人物と周囲の物影という視覚に導かれるように、水平や垂直の雰囲気の変化の中で、あの蒼茫たる時代に立ち戻り、あの静謐な時空を再び体験する。張照堂の長い歳月をかけた旅の中で、絶え間なく置き去りにされ、また絶え間なく掬い上げられてきた無限の視野と、心を動かす物語を味わいながら。
テキスト/ 沈昭良(シェン・ジャオリャン)
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#ロードバイク #キャンプ #グラベルロード
0:00オープニングとメンバー紹介
2:45ライドスタート
8:53激しいアップダウンで一番早いのは…
12:45ランチタイム
17:01キャンプ場到着
淡路島 自転車 一周 在 【アワハン】自転車で淡路島半周サイクリング|日帰り&短 ... 的必吃
2019/11/13 - ロードバイクで淡路島一周サイクリング「アワイチ」に挑戦しました。 参考記事>>>「アワイチ」走ってきた!自転車で淡路島一周150km ... ... <看更多>
淡路島 自転車 一周 在 淡路島一周「アワイチ」挑戦 30代記者が自転車で150キロ走破 的必吃
兵庫県の 淡路島一周 150キロを 自転車 で走破する「アワイチ」が愛好家の間で人気だ。行政も観光の起爆剤として期待を寄せている。30代の記者が挑戦 ... ... <看更多>