なんて事ない付き合いから生まれた男女の3人暮らし。それぞれの日常を追いながら、個人の、3人の関係性の変化と崩壊を追っていくお話です。
〇募集情報
https://note.com/gensessay/n/n02a7ac720e5f
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こちらをご確認ください。
〇原案出だし※未確定
■1 201X年 4月
都市の隅から隅まで浮かれた空気に満ちた春。葉(よう)は坂を下った。スーツケース1つを連れる中、道脇の民家に咲く一本のソメイヨシノは8分咲きだった。
肌触りのいい風が吹き抜ける坂の果てはセメントで囲まれた小川沿いの路地に変わり、何歩か歩けば、なんてことない古びたアパートが見えてくる。
塗り返された壁の端には数色の層ができていて、彼女はその脇の軋んだ階段を上った。
廊下を突き当りまで進んで204号室。鍵を開ければ何も置かれていない、だだっ広い部屋が迎えてくれた。
畳張りとフローリングのエリアがある大きなワンルーム。
部屋には知らない匂いが満ちていた。
スーツケースを下ろしてコンバースを脱ぐと、彼女は下駄箱の剥げたベニヤや風呂のタイルの欠けを指でなぞるように確認した後、押し入れを開けて下段に入った。
そこには前住人のものと思われる人気キャラクラ―の落書き、そしてそのまた前住人のものと思われる、色褪せた文字が書かれていた。
『今年の夏を全身全霊で駆け抜けることをここに誓います!』
彼女はその殴り書きを読みながら「なんの宣誓だよ」と笑った。
それから大窓を開き、部屋に風を入れると大の字になって天井を見つめた。
今日からここが家になる。そんな実感はとても持てなかったけれど、思いの外、自分の存在が馴染んでいる気がした。
引っ越し業者の荷運びが終わり、最低限の生活家具・雑貨が揃うと、気分も一新し、自然と活力が湧いた。
エコバッグの中から買っておいた食材を取り出し、葉は豚の生姜焼きを慣れた手つきで作り始めた。キャベツは千切り、玉ねぎはくし切りにして、豚ロースは小麦粉と塩胡椒をまぶしておく。ガスコンロに火を灯し、油を引いたフライパンから煙が出たら豚肉と玉ねぎを入れ、焦げ目がついたらタレをまわしかける。
彼女はそれを皿に盛ってダイニングテーブルに運び、米をよそって味噌汁を注いだ。それから手をパチンと合わせ、「いただきます」
■2 200X年 7月
暗闇の中、街灯の下で蝉が懲りずに鳴いている夏。204号室の樹は中華鍋で踊る回鍋肉を炒めていた。
「あつい、あついあついあつい」
洗顔用のピンクヘアバンドを頭につける彼の額や首筋からはとめどなく汗が噴き出し、シャツを滲ませていた。
「もうクーラーつけようや」
そう言う匠は特に何をするわけでもなく、傷やキャラクターシールのついたダイニングテーブルに足を乗せ、椅子を揺らしながらうちわを扇いだ。
「電気代、誰が払うんだよ」
「お前」
「だからつけないんだよ」
「頑固な人ねえ」
匠は諦めたように椅子を下り、冷蔵庫を開けて麦茶のポットを取り出した。
「葉、何か飲むか?」
彼がそう言うと、畳の上で煙草を吸う彼女は「コーラ」と言った。
「麦茶しかない」
彼女はため息を吐き、「あー、はい」と麦茶のコップを受け取ると、一気飲みして汗をシャツで拭った。
「あついあついあつい」
樹はそう言いながら鍋をテーブルに持ってくると、回鍋肉を大皿に流し込んだ。
それから匠は気怠そうに炊飯器から米をよそい、葉はテーブルのノートを退けた。
「だから〜、ノートの上に皿置くなって」
彼女がそう言うと、樹は「じゃあ変わりの鍋敷きもってきて」と言った。
「だからノートは鍋敷きじゃないんだよ。馬鹿しかいないのかねこの部屋は」
葉はそう言い、代わりに樹の文庫本を持ってきた。
「どうかしてるよ、ほんと」
「始めたのはそっちでしょ」
「暑さは人を苛立たせるねぇ」
匠はそう言いながらさりげなくクーラーをつけ、3人は席につき、手をパチンと合わせ、
「じゃあいただき〜」
「いただきまーす」
「いただきます〜」
それから大皿に箸を向け、米の上に乗せて黙々と頬張っていく。
「今日から一応夏休みじゃん」
匠が口を開いた。
「うん」
樹は言った。
「なんかさ、やらない?」
「やるってなに」
葉は言った。
「旅行?的な?」
「どこがいいかね」
彼は押入れから地球儀を取り出し、テーブルのど真ん中に置いた。
「スケールがでかいんよ、色々と」
樹は視界を遮る地球儀上のアフリカを眺めながら言った。
「島行きたい。伊豆とかなら安いんじゃない?」
「さるびあ丸!いいな!何島にするか」
「これじゃ見えないだろ」
「これ食ったら紀伊國屋行こうぜ。でかい地図買うんよ。多分涼しいし」
「道中を考えろ道中を」
興奮した匠は席を立つと、油性ペンを持って押し入れに入った。
「あーあー何する気だよ、お前の持ち家じゃないんだぞ」
そういう樹の声に彼は笑みを見せ、でかでかと殴り書きをした。
『今年の夏は人生最高の夏になるぞ!』
「ばーか」
葉はそう言いながら口に付いたソースを指で拭った。
―募集要項―
■募集期間
4月9日 18時まで
■募集人数
・主役 女性1名 男性2名
・準主役 男女4〜5名
・エキストラ 多数
■撮影場所
東京(近郊)
■撮影期間
長期(予定)
※期間や時間が読めないため、東京近郊にお住いの方が対象となります。
■年齢
18歳以上
■その他
演技経験がある方、被写体経験のある方歓迎です。
未経験でも勿論問題ありません。
■応募方法
Twitter:夢想企画にダイレクトメール(ID:musoukikaku666)
Instagram:夢想企画にダイレクトメール(ID:musoukikaku666)
Gmailへメール(address : musoukikaku666@gmail.com)
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・氏名 ・年齢 ・容姿の分かる写真 ・活動で使用しているSNS (なければ不要です)
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ついさっき起きた話です。
長い上にうまくまとまっ
てないけど愚痴らせて下さい現在、
社員寮暮らしの女です
先程お風呂に入っていたら、
インターフォンがなり、
入浴中ですが念の為に
インターフォン越しに
対応に向かいました
ただ、対応が遅かったためか、
玄関越しに
「こいつ居留守使って
んじゃねーか?」
「さっさとしろよ」
など高圧的な声が聞こえてきました
少し怖くなったのですが、
2回目のインターフォンが
なったため、
インターフォン越しに
恐る恐る対応すると、
新入社員らしき子達3人が
立っていました
こちらから入浴中で対応に
遅れたことを詫びると、
暴言を吐いた男性が話し
だしましたが、
あちらも丁寧な対応に変わりました
話を聞くと、私の部屋の
2つ先の部屋に住んでいて、
鍵を忘れしまったので私の
部屋からベランダを
つたって自分の部屋に
行きたいので部屋に入れて
ほしいと言ってきました
正直風呂上がりな上、
部屋も片付けなければ
ならなかったので部屋に
入れたくなかったのですが、
先程の高圧的な態度が怖くて、
承諾することにしました
結果的にはその後何事もなく、
平和に終わったのですが、
最初の高圧的な態度に
もやもやしています
彼方からすれば一大事で
余裕もなかったでしょうし、
私と直接話したときは
丁寧な対応でした。
また、私に暴言を聞か
れたとも思ってないのでしょう
でも、夜遅くに身勝手な
理由で押し掛けてきて、
何故こちらに非がある
ようなことを言わ
れなければならないのかと
凹みました
何より、私よりいくつか
年下の新入社員に
オドオドとしてしまった自分、
心が狭く簡単に凹んで
しまっている自分に嫌気がさします
こんな些細なことは誰にも
愚痴ることができないので、
思わず書き込んでしまいました。
失礼しました
女性の部屋に男三人?怖かったね。
困ってる人を助けてあげて
偉かったね。
寮を管理してる総務とかに
報告しても良いかもね。
少し迷惑だったって。
そう励ましてもらえると
ホッとします。
ありがとうございます
男性2人と女性1人でしたが、
男性がどちらもちょっと怖くて…
新入社員の子達なので、
あまり責めないような
言い方で総務に報告する
ことを検討してみます
に向けたのではなく、
仲間内の話が漏れ聞こえて
きたって感じだ
それなら乱暴な
言葉遣いでも不思議じゃないし、
その後は丁寧にしてきたのなら、
ちゃんとしようって気は
あったんだろうね
明日改めて話してきたら
「びっくりしたよーw」
くらいに冗談混じりに
くぎを刺すとか、
角が立たない程度にする
のが無難かも
何なら他の人も巻き込んだ
雑談にしてもいいし
ついさっきって夜の
10時台だよね?
>話を聞くと、私の部屋の
2つ先の部屋に住んでいて、
鍵を忘れしまったので私の
部屋からベランダを
つたって自分の部屋に
行きたいので部屋に入れて
ほしいと言ってきました
そんな遅い時間にいきなり
押し掛けて来て怖過ぎ
ベランダから部屋に入れるなら、
逆に言うとベランダから
侵入も可能だから
ベランダ側の窓などに
窓枠の上下に取り付ける
タイプの二重鍵を設置した
方がいいかも
そしてそのことは何か
あった時の為にも、
会社の人間にも報告した
方がいいと思うよ
社員寮でそんな夜に
いきなり女性の部屋に
入れろといってくる
男達なんて怖過ぎるでしょ。
社員寮で窃盗とかある
所もあるらしいし。
訪ねてきたのは夜9時
9時半頃でした
あの時は私も頭が
回りませんでしたが、
今思うと迂闊な対応でしたね…
明日になれば冷静になると
思うので、
会社にもあくまで寮管理の
改善要望的な形で相談してみます
アドバイスありがとうございます
なんという恐ろしい対応を
したのか。
ベランダを伝って
転落死でもしたら大変な
ことになる。
そんな危険なことを承認
するなんてどうかしているよ。
しかも男性社員を部屋に
ホイホイ入れるって。
絶対にまた頼みにくるし、
カギなんか忘れてもあの
部屋に入ればいいだけって
ナメてくるよ。
社員寮なら、会社の担当
部署に「報告」したら?
セキュリティ上の問題もあるし
何より、いくら同じ会社の
人間でも夜間に男性3人で
見知らぬ女性の部屋に上り
込むのは非常識で貴女が
恐怖を感じるのは当たり前だし
そうだね、
報告は絶対に必要。
部屋に入れたのは完全に間違い。
そいつらはネカフェにで泊まって、
翌朝管理する人に開けて
もらうべきだったね。
その上で管理人がカギが
ちゃんとあるか確認させる、
それが本筋。
話の流れを切ってしまって
すみません
昨夜書き込みしたですまず、
自分の部署の書記さんに相談し、
総務部に昨夜の出来事の経緯と、
自分も冷静な判断が
できずに馬鹿な対応をして
しまって非があることを
報告しました部屋に入る
のを許可してしまったのは、
訪れた3人のうち1人は
女性だったこと
(付き添いできた)
部屋に入れてもらうのが
無理なら下の部屋から
よじ登って何とか入ると
言い出したので流石に
危ないと思ったこと、
そして何より同じ
会社だったので油断して
いたからですしかし、
ベランダ越しに行くのも
危ないのに変わりないし、
私の身の安全の面からも
非常に軽率だったと、
いただいたレスを拝見し
冷静になって気付きました
部屋に入れずとも上司に
連絡して相談するように
指示するなり、
同じ社員寮の同期に1日
泊めてもらうように頼む
ことを諭すなり
すべきでした…後悔
してます長くなりましたが、
助言をいただいたことで
冷静になり、
上記の対応ができました
コメントをくださった方が
何人見ていらっしゃるか
分かりませんが、
お礼を言わせてください。
ありがとうございました
油や鹿鳴 在 Genの本棚食堂 Youtube 的最讚貼文
『月と金星』より抜粋
カクテルシェイカーのようによく冷えた中央線特別快速の中、レシピサイトで今晩の献立を考えていると同僚の牧さんからメッセージが入った。
『よ』
『よー』
『お疲れ』
『まだ経理部いる?』
『お疲れ様です』
『いや』
『そろそろ最寄りです』
『はや!笑』
『まぁたまにはね笑』
『牧さんはお決まりのやつですか?』
『からかう暇あるなら助け舟出してよ、、華金なのに、鹿島が私を離さない』
課長の鹿島さんは彼女が大のお気入りで、金曜はいつも仕事を増やして2人で残業し、20時頃飲みに誘うのがお決まりだった。
『笑』
『そうしたいのは山々ですが』
『うん、どうしようもない』
『あのさ、今日見たい映画あるんだけど、トムハーディ主人公のやつ。帰りにTSUTAYAで借りてく?』
その文面を見て僕は目を閉じた。
やってしまった。
一昨日の昼下がり、社食で山菜蕎麦を食べていると、珍しく彼女が声をかけてきた。
「どうしたんですか」
「だって。周り人いないし」
確かに、200席ある空間には僕たちをのぞいて4,5人しかいなかった。
「あらほんとう。でも仕事戻らないと鹿島さんに残らされますよ」
そう言うと、彼女は少しもじもじして言った。
「あのさ、金曜お邪魔してもいい?」
確かにそう言っていた。そして僕は予定も確認せず、蕎麦をすすりながら確かに頷いた。
きっと彼女の中では今夜のシナリオが緻密に練られていたに違いない。21時ごろ駅に到着、帰路で好物の肉まんとコーラを買ったらマッドマックスかブロンソンを観る。ダークナイトとインセプションも捨てがたいが、ノーラン監督のハーディは決まって脇役だ。そして映画が終われば午前2時のシーツで深い眠りにつく。
僕は卑しくも先約と彼女を天秤にかけた。
『すいません』
『今日弟が来ることになって、』
ありのままを伝えればきっといい思いをしないから、僕は一部だけを切り取った。
既読はついたが返答は遅く、腹の底が締め付けられた。
『そっか』
『まぁこればかりは仕方ない』
『あんまり会えないだろうし、家族団欒を楽しんで!』
『ごめんなさい、』
『気にしなさんな。明日死ぬわけでもあるまいし』
『来週ブロンソン観ましょう』
『え、なんで分かったの』
『好みそうだから』
『そっか笑 ありがとね』
『こちらこそ、ありがとう』
タイミングを失った曖昧な関係の果ては、一体いつ訪れるのだろうか。
列車の扉が開き、ホームに足をつけると、顔には茹だるような熱風が吹き付け、今夜は熱帯夜になると予感した。
巨大な看板が見下ろす駅前広場はくたびれて背筋が曲がったサラリーマンや出会いを求める溌剌とした若者で溢れている。雑居ビル群の隙間に張り巡らされた薄暗い商店街に入れば、魚の煮付け、肉饅、もつ煮に焼き鳥、色んな匂いの湯気が空間に立ち込めてすごい湿気だった。
僕は客引きを避けながら、地下の食品店で肉野菜を買い足し、一本裏手に入って桃色の壁が大変チャーミングなフィリピンパブ脇の階段を上がった。
薄っぺらい扉向こうの築50年2DKに期待できるものなんて何もありゃしない。生活に必要なだけの家具とオーディオと数本の植木鉢があるだけだ。
床に散らばるペットボトルや延長コードを避けながら僕は汗ばんだ服を脱ぎ、大窓を開けてベランダに出た。目の前には雑居ビルに囲われた小さな中庭と一本の街灯があり、そこでは子供達がキャッキャとボール遊びを、猫はシャーシャー喧嘩を、パブのママはゴンゴン洗濯機を回していた。
頭上の四角く切り取られた空には、藍夜に飲み込まれる夕焼けの中、淡い輪郭を持つ月と金星が寄り添うように輝いており、さながらムンクの星月夜のようだった。
「そんなもん吸い出しちゃって」
口元で紙煙草がじんわりと赤い火を灯す中、ママは言った。
彼女の会話の始まりはいつだって間が悪い上に好戦的で耳に障る。
「あれ、こりゃどうも。これから出勤ですか?」
僕はフェイスパックにヘッドタオルの大怪獣ダダもといママへ聞いた。
「暇ならうち手伝いなよ。先週ちょうど一人辞めたから」
「毛の処理してませんけど大丈夫ですか」
「客引きだよばか。つまんないボケしやがって」
「まぁまぁ。そういや、今日葉来ますよ」
そう言うと、彼女のフェイスパックは顔から剥がれ落ちた。
「えー!早く言ってよ!いつ来るの?」
「さぁ、特に聞いてないんで」
「聞けよ」
「時間あったら寄りますよ」
「なくても寄りな。成田屋のちゃんぷるーあるから食べさせて。あの子成長期なんだから」
「いつもすみません」
火を潰して部屋に戻ると、僕はたまっているオールナイトラジオを流しながら牧さんの歯ブラシやパジャマをしまい、床は念入りに掃除機をかけた。浅ましいことは自覚している。
『今まで本当に長い間、お世話になりました』
そんな言葉を聞いたのは3年前の春のこと、近所のバス停だった。
田村光は深々と頭を下げ、まだ小学生だった弟の葉とこの部屋を出ていった。
僕がうつむく彼を「またな」と強く抱きしめると、「本当にまたあるの?」と返ってきた。
「うん、絶対あるから、大丈夫」
そう言いながら、僕は彼女の目を見て頷いた。
「じゃあ、行くね」
「うん、元気で」
「樹も元気で」
光はとても穏やかな表情をしてバスに乗った。
車体が交差点を曲がって視界から消えた時、長い年月をかけて築いた自分の半身が死んだ気がした。
「こんな終わり方後悔するよ」
ママはそう言った。
「どうしようもないでしょ」
僕はそう言い、階段を上がった。
最低限のものが持ち出され、「捨てて」と告げられた穴あきのニットやダイアナのヒール、使い古したスケボーはあまりに生々しく、今でもクローゼットの隅に残したままだ。
随分昔、光へ告白をしたその日、彼女は僕を自宅に連れて行った。
煙草の煙が立ち込める古いアパートには痣のある母親とその恋人と、赤ん坊の葉がいた。
一目でその家庭に何が起きているか分かった。
そしてその日の夕方、僕はアパート脇のブランコでひどいフラれ方をした。
だから18になったら3人で住もうと言い返すと、彼女はくしゃっと笑った。
3人で7年間、この部屋で暮らした。働いてばかりで余裕のある暮らしなんて送れなかったけれど、幸せだった。葉を自分の弟のように、子供のように可愛がった。
入学式も授業参観も運動会も、僕は当たり前のように出席したし、色んな場所を3人で見て回った。
そして葉が人一倍努力家で、思いやりのある自慢の少年になった時、僕と光はとうに恋人ではなくなっていた。
彼らが去った晩、ソファに座って呆然としていると、葉から電話があった。
深夜零時の公衆電話からだった。
「もしもし」
「葉?どうした?こんな時間に出歩いちゃダメだろ」
「コウちゃんと同じ布団だから寝らんない、なんか部屋臭いし」
「そっか、それは寝られないな」
「もうほんとに戻れないの?」
「うーん、分からない。やっぱりちょっと難しいかもな」
「ほんとに俺のせいじゃないの?」
「それだけは違う。何度も言うけど」
「戻りたくないの?」
「戻れるなら、うん、戻りたいかな」
「俺も戻りたい。帰りたい」
「うん、そうだよね」
「うちに帰りたい」
血も縁も繋がらない少年のすすり泣きに、僕は携帯を押し当てることしかできなかった。
スピーカーから流れる宇多田ヒカルのニューシングルと共に鶏の一枚肉を卵にくぐらせていると部屋にチャイムが鳴り響いた。粘り気のある手のまま扉を開けると短髪になった葉が立っていた。
「えらい早くないか」
「部活早く終わったから」
「なんで息荒いの」
「走ってきた。何となく」
「若いって罪よねー」
僕はそう言いながら、彼の手に下がる成田屋のビニール袋を見た。
「あ」
「え、まじ」
僕が頷くと、彼は大きく溜め息を吐いた。
「まぁ、育ち盛りだから大丈夫。二人前食え。というかどうしたそれ」
襟足まで伸びていた彼のさらさらヘアーは3週間見ないだけで引き締まったツーブロックに変わっていた。
「変?」
「変じゃない。ただ垢抜けたなぁと」
そう言うと、彼は少し口元が緩んで嬉しそうにした。こんな素直な高校生この世にいるかねってくらい素直で、こっちが恥ずかしくなる。
「お、チキン南蛮!手伝うことある?」
「いやいいよ、ゲームでもやってろよ」
「えーそうですかー」
葉はテレビゲームを立ち上げて通信対戦をはじめ、僕はキャベツを千切りにした。
彼の高校進学を機に、二人は新高円寺から四ツ谷に引っ越したと聞いた。
二人がどんな物を食べて、話して、誰と暮らしているのか、僕は何一つとして知らない。
葉は彼女のことを話さない。話したがらない。
高温の油にくぐらせた鶏肉はパチパチと小気味良い音を立て綺麗なきつね色に揚がった。それから隣のコンロで醤油と砂糖とみりんベースの甘辛いタレを作り始めると、葉はゲームを止め、冷凍庫にあった残り物をひょいひょいと集めた。
「えー、いいのに」
「大したことしないよ」
「味噌汁?」
「うん」
僕はだしの素を渡し、彼は鍋に火をつけて具材を炒めた。改めて横目で見ると、身長は僕とそう変わらないし、体つきもがっしりし始めていた。
彼がまだ保育園の頃、仕事漬けの彼女は家を開けることも多く、大学生だった僕と彼は、よくこのキッチンにいた。
初めて彼の好物のチキン南蛮を作った夜、出来上がりはまずまずだったが、やや事有り気な表情の葉を見て僕は慌てた。
「ごめん、コウちゃんのと違った?」
そう聞くと、彼は首を横に振った。間違いなく揚げ物担当の自分に非があると確信したが、原因も分からず、僕は葉が残さず食べる姿をじっと眺めることしかできなかった。
一連の出来事を深夜に帰ってきたコウちゃんに話すと、彼女は静かに笑っていた。
「うちはさ、なんでか卵と小麦粉なんだよね。もしかするとお父ちゃん九州出身だったのかも。ほら、私顔も濃い目だし」
彼女は眉間の掘りをつまみ、金麦をぐびぐび飲みながらチキン南蛮もどきを食べていた。
「なんだ、美味しいじゃん」
「そりゃレシピ通り作ったからね」
「葉は贅沢なやつだなぁ」
食事を終えると彼女はすとんと眠り、朝になればまた働きに出る。襖越しの葉が起きないよう、僕たちはいつも明かりと声を絞って深夜のわずかな時間を過ごしていた。
「じゃいただきまーす」
葉は何とも行儀悪く、山盛り茶碗の上にどっさりと肉を乗せ、タレのしみた米をかき込んでいた。
「うまい!」
「そりゃ良かったよ。なぁ」
「ん?」
「彼女できました?」
僕がそう言うと、葉は僕を睨んだ。
「なんで?」
「当たっちゃったか」
「違うって」
「じゃあ気になる子?」
彼はいや、と首を傾げながらもゆっくり頷いた。
甘酸っぱすぎて叫びたくなったが、嫌われたくないので我慢した。
「写真ある?」
そう言うと、彼はスマホを取り出し、真剣に写真を探し始めた。
見せちゃうの、見せちゃうのか!本当にこいつには思春期がないのか!
ツーショットの写真に映る彼女はまぁ結構な美人で、こいつは面食いだと確信した。
「お、可愛いじゃーん。と言うかツーショット」
「普通に、体育祭の時のやつだし」
「いや体育祭でも二人じゃ撮らないだろ」
それから僕たちは彼女にアプローチするための戦略を紙に書いて練った。練りながら、かつての自分が使ったアプローチと同じものだと気づき、我ながら呆れた。
「焦らずゆっくりやりたまえよ葉くん」
僕は葉にチキン南蛮の一切れとトマトをあげた。
「トマトはいらない」
「贅沢なやつだな」
「樹はさ、彼女とかいないの?」
「え」
初めて聞かれた、そんなこと。
「ごめん、忘れて」
「いたら、どう思う?」
「うーん、まずはちゃんと紹介してほしい?かな」
「・・・・呼んでみる?」